最後の民の栄えあるデモンストレーションと訓練

2013年11月30日 icon_002200_16.pngTag: 花城 健


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最後の世代のキリスト教会は、清くて傷のない栄光の姿の教会となります。そのために神は神の民に必要な訓練をお与えになります。その訓練は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われます。しかし、後になれば、それによって鍛えられるものに、平安な義の実を結ばせるようになります。

へブル12:1こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。 12:2信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。 12:3あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。 12:4あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。 12:5また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、

「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。12:6主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。

12:7あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。 12:8だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。 12:9その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。 12:10肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 12:11すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。


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