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第23課 結婚ー家庭


 私たちの生涯に大きな影響を及ぼす家庭が2つあります。1つは自分が生まれ育った家庭と、もう1つは自分がつくる家庭です。
 家庭は社会の単位であり、社会の秩序と繁栄は家庭の感化にかかっています。したがって家庭とその出発点となる結婚は、私たちの生活にとってきわめて重要な意味をもっています。
 結婚は神がはじめにお定めになった制度で、人間の幸福のために計画されたものです。
 しかし神が人間の幸福のために計画なさったものを、悪魔が手をつけないはずはありません。そのため今日ほど男女の関係、性の問題がみだれ、家庭が破壊された時代はなかったということができます。
 1867年米国では36組の結婚に対して1組の離婚がありました。それが20世紀になると13組に1つとなり、1970年代は2.8組に1つとなっています。日本もこれほどではありませんが同じ傾向を示しています。
 この課では家庭の意味と幸福な家庭をつくるためにはどうすればよいかを学んでみたいと思います。


1.結婚の意味するもの

 家庭は1組の男女の共同生活によって形づくられます。その出発点である結婚は、人生における最も大切なことがらの1つです。まずこの間題を考える心構えを聖書から学んでみたいと思います。
 コリント人への第1の手紙10章31節「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」とあります。これは私たちの生きる根本の心構えです。私たちの人生は神を原点として設計しなければなりません。これは結婚だけに限らず私たちが真に生きがいのある人生を送ろうと思うならば、愛の神と関係づけられた目標がいるのです。結婚もこのような心構えで考え、計画することが大切です。
 ある人々は結婚が人生の最高の目的のように考えていますが、これは究極の目的ではありません。クリスチャンの結婚は当事者の幸福とともに、結婚を通して神の栄えがあらわされることがなければ、ほんとうの意味はないのです。またほんとうの幸福をのぞむこともできません。
 キリストは、ノアの洪水の前の人々について、「食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子〔キリスト=著者注〕の現れるのも、そのようであろう」(マタイによる福音書24章38、39節)といわれました。
 これは、終末時代に人々が、人生における真の目的を見失い、飲食や結婚が人生のすべてであるかのように考え、再臨の準備もおろそかにするようになることを指摘なさったのです。人生の問題を考える根本の態度がくるってくると神を原点として考えるのでなく、自己の欲望を中心として考えるようになるのです。
 悪魔は、人類を不幸におとしいれ、神の栄えをあらわすべき人間が、その目的を達することができないで、自分自身も破滅におちいっていくことを喜んでいます。
 E・G・ホワイトは「女性の幸福と有用性をうばい、生涯を心のいたむ重荷とするのに最も強い影響をもつのはその夫である。また男性の希望や向上心を冷却し、彼のエネルギーをまひさせ、その影響力や将来性をそこなうのに、その妻の100分の1もできる人はほかにない」と書きました。あやまった結婚ほど悲惨なものはありません。それは社会にも大きな影響を及ぼすものです。


2.最初の結婚

 最初の結婚の記録は、創世記2章にあります。その物語をE・G・ホワイトは次のように書いています。
 「アダムが造られたのち、すべての生きものが名前をつけてもらうために、彼の前につれてこられた。アダムはすべての生き物に伴侶が与えられているのを見たが、彼らの中には、人にふさわしい助け手は見つからなかった。神が、地上にお造りになったもののうちには、人にふさわしいものはなかった。そこで主なる神は言われた『人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう』」(創世記2章18節)
 人は孤独で生活するようには造られていなかった。人は他との交わりを持つべき存在であった。交わる伴侶がなければエデンの園の美しい景色も、また心に喜びを与えるような仕事も、人に完全な幸福を与えることはできなかったであろう。天使との交わりでさえ、同情と伴侶を求める人の希望を満足させることはできなかった。そこには、同じ性質を持った、愛し、愛されるものがなかったのである。
 神ご自身がアダムに伴侶をお与えになった。神が彼の助け手をお備えになった。その助け手は、彼にふさわしいものであり、伴侶となるにふさわしく、愛と同情において彼と1つになることができた。
 エバは、アダムの脇からとられたあばら骨で造られた。これは、彼女がかしらとなって彼を支配するのでもなく、また彼より劣ったものとして、その足もとにふみつけられるものでもなく、彼のかたわらに、彼とひとしいものとして立ち、愛せられ、また保護されるためであった。男の一部分であり、その骨の骨、その肉の肉として、女は男の第2の自己であった。この事実は、結婚において存在すべき密接な結合と、愛情のきずなを示している。『自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。…おのれを育て養うのが常である』『それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである』(エペソ人への手紙5章29節、創世記2章24節)
 神は最初の結婚をお祝しになった。このようにして、この制度は、宇宙の創造者によってはじめられたものである。『すべての人は、結婚を重んずべきである』(へブル人への手紙13章4節)。結婚は、神がはじめにお与えになった賜物の1つである。…この関係における神の原則を認め、これに従うときには、結婚は祝福である。結婚は人類の純潔と幸福を守り、人の交わりの要求にこたえ、知的にも、肉体的にも、また道徳的性質をも向上させるものである」(人類のあけぼの上巻20、21ページ参照)。
 このようにして造られた最初の家庭は人間の家庭生活の模範となるはずでした。この言葉から次のことがわかります。

 このような形の結婚を通して、神の栄えがあらわされ、人間は自らも幸福を経験し、また他の人々を幸福にすることができるはずでした。
 悪魔は、人間の罪を通して家庭を破壊しようと働いてきましたが、結婚に対する神の計画は今日も変わってはいません。結婚の原則を認め、神の言葉に従っていく人々に祝福が約束されています。


3.結婚に至る準備

 幸福な家庭をきずくためには準備が必要です。結婚の準備はまず一人前の大人になることで、早婚はすすめられません。結婚の準備として考えるべきことがらをあげてみましょう。

(1)年令
 結婚生活の成功や失敗順応性などについて多くの調査がありますが、一般的にいえば男子は22才から24才くらいになるまで、女子は20才から22才くらいになるまでは待ったほうがいいと思われます。
 E・G・ホワイトは「子供時代に結ばれた愛情が、不幸な結婚生活、あるいは不面目な離婚に終わる場合がよくあります。親の同意なしに、年若いときに愛情が結ぼれることによって、幸福になることはめったにありません。十分な年齢と経験に達し、自由であっても安全な時期に達するまで、年若いときの愛情は抑制しなければなりません。抑制されなければ、彼らは不幸な経験を続ける危険があります。まだ10代を出ない若者は、自分と同じように若い相手が一生の伴侶として、適当かどうかを十分に判断することはできません」といいました。

(2)知的成熟
 次に、知的にもある程度の成熟をしていることが必要です。結婚にはいろいろな責任や義務が伴います。そして、それを知的に処理する能力をもっていなければなりません。

(3)生活能力
 また、職業的に準備ができる年齢というものも考えてみなければなりません。結婚を考える人は、生活力がなければなりません。一応、生涯の仕事に対する教育なり、準備なりが終わらなければ、結婚にはいることは無理です。このことは男子ばかりでなくて、女子についても言うことができます。たとえ結婚しても、そのような必要が起こらないということはないからです。

(4)感情的成熟
 また、感情的な成熟も必要です。特に異性との接触や、交際において、落ち着いて交わることができるような、感情的な成熟がないと、相手を選ぶ場合にも誤ったり、また結婚生活にはいっても、よくお互いに調整していくことが困難になります。ですから、結婚の問題は、一般的な問題としては、早くから考えることができますが、具体的な問題としては、少なくとも、いま述べたような点において、一応成熟した、すなわち、おとなになった状態になって決定することが安全であり、また賢明なことです。


4.相手の選択

 それでは、実際にどのようにして結婚の相手を選択したらよいでしょうか。今日、男女の交際は非常に自由になっていますが、結婚できる年令になるまでの交際は、特定の相手とではなく、グループによる交際が、自分自身の成長のためにも、幸福な結婚のためにも益があります。いろいろな人と交わっているうちに、人をみる目もできて、自分に適当な伴侶のイメージが形づくられることもあると思いますが、ただそのイメージを特定の相手に固定するのは、結婚の適齢がくるまで延ばしたほうが賢明です。
 我が国では男女の交際の範囲もまだ限られていますから、適当な信頼できる人の紹介による見合いも個人的な交際のきっかけとして有力な役割を果たしています。
 聖書の中にイサクの結婚のことが書いてありますが、彼は父アブラハムの判断を信頼して、経験の深い神をおそれるしもベにその配偶者をえらばせました。その結果彼はすばらしい幸福な家庭をつくることができたのです。自由な交際によらなければ幸福な家庭はできないということではありません。
 はじめの結婚において、適当な伴侶は神がお与えになりました。箴言には「賢い妻は主から賜わるものである」(19章14節)と書いてあります。
 具体的に選択する段階になったとき、大切なことは第1に神に祈り、その導きを求めることです。次に信頼することができる経験者の助言を求めることです。E・G・ホワイトは「この間題に関連して、最大の間違いの1つは、若い者や経験のない者が、自分たちの愛情を妨害されたくない、自分たちの恋愛経験に口を出してもらいたくないという考えです。あらゆる立場から考えるべき問題があるとすれば、それはこのことです。他人の経験の助け、またこの問題を両方の立場から、冷静にまた注意深く考慮することが、絶対的に必要です。」といい、また「注意深い思慮と、年取った経験者の助言を必要とするものがあるとすれば、それは結婚の問題です。」と述べています。
 相手の選択にあたって最も基本的な点は、「不信者と、つり合わないくびきを共にするな」(コリント人への第2の手紙6章14節)ということです。信仰が一致しないということは人生観や価値判断の基準がちがうことであり、生活のあらゆる面で意見の対立がしばしば起こり不幸のもととなります。
 このような聖書の教えを知らないで配偶者をえらんだ方も多いと思いますが、同じ信仰に導かれていくように努力すれば、神が必要な助けを与えて下さいます。
 もちろんこう考えると結婚の範囲も非常にせまくなるので、ある場合独身で終わらなければならないということもでてくるでしょう。しかし神は私たち一人びとりに最善の道をそなえて下さることは聖書の約束です。


5.家庭における役割

 私たちは家庭の中でいろいろな役割をもっています。家庭の主要な要素は父―夫、母―妻と子供です。父であり夫である者は、家庭のかしらです。夫は英語でハズバンドといいますが、E・G・ホワイトはこれはハウス・バンドの意味で夫は強い愛情をもって家庭をまとめ、必要な助けとなるべきであるといいました。そのためには衝動的に行動するのでなく、家庭をみちびく者として、成熟した経験が必要です。
 次に母―妻は一家の女王であるとE・G・ホワイトはいいました。妻は夫と同等のものとして重い責任をもっています。家をかしこく治め、子女を養育します。子供を育てる責任は父親にもありますが、母親の感化は最も大きいものです。「ゆりかごを動かす手は、世界を動かす」というベスタロッチの言葉はこの間の消息を語っています。それにもかかわらず母親の仕事は正当に評価されていないことがしばしばありますが、神は母親1人1人の労苦をおぼえ、天使はつかれた母親を見守り、その重荷を助けてくれるのです。
 子供も家庭における責任を分担し、父母の労苦を助け品性の訓練をうけていかなければなりません。十戒の第5条は、子供が父母に対して尊敬と服従をもってつかえていくべきことを命じています。
 家庭の中心は神です。いつか台湾のお土産に「基督(キリスト)是我家之主」という額をもらいましたが、これはよい言葉です。キリストを主とする家庭は、神の使命を果たすことができる幸福な家庭です。




第22課 復習問題


※問題をクリックすると解答が開きます。

答え: 「だから飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」(コリント人への第一の手紙10章31節)

答え: キリストは終末時代に人々が、人生における真の目的を見失い、飲食結婚が人生のすべてであるかのように考え、再臨の準備もおろそかにするようになることを指摘なさいました。

答え: 彼女がかしらとなって、彼を支配するのでもなく、また、彼より劣ったものとして、その足元にふみつけられるのでもなく、彼の傍らに彼と等しいものとして立ち、愛され、また保護されるため

答え: (1)年齢、(2)知的成熟、 (3)生活能力、(4)感情的成熟

答え: 父―家庭のかしら、強い愛情をもって家庭をまとめ、必要な助けとなる、母―家を賢く治め、子女を養育する

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