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第28課 現代の使命Ⅰ—黙示録の世界


 聖書のいちばん終わりにあるヨハネの黙示録は、聖書の中でも特徴のある興味深いまた重要な書です。米国の著名な宗教指導者E・G・ホワイトは、「黙示録において、聖書のすべての書が出会いそして完結している」といいました。
 黙示録には旧約聖書39巻のうち、28巻からの引用があり、新約聖書の7つの書との関連がみられます。
 一般に黙示録は難解であると思われていますが、その1章3節には、「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである」とあり、この書は終末時代に住む私たちにとって大切な内容をもっています。
 現代の使命ⅠⅡⅢⅣという題で4課にわけて、黙示録を中心として、現代にかかわる重要な問題を学びます。すこしむずかしいとお感じになる方があるかも知れませんが、ぜひやめないでこの興味深い大事な聖書の言葉を研究なさって下さい。そして「この中に書かれていることを守る者はさいわいである」という特別な祝福をお受けになって下さい。


1.黙示録の著者

 黙示録の著者はキリストの12人の弟子の1人ヨハネです。これを書いた場所はエーゲ海の火山島であるパトモスという島で、紀元96年ころと考えられます。
 この当時の教会は大きな危機に直面していました。キリストが昇天なさったあと、福音を受けいれた人々は、救いの喜びにあふれて、この救いの望みを熱心に人々につたえたので、きびしい迫害にもかかわらず、福音は比較的短い期間に当時の文明世界にのべつたえられました。彼らの心はキリストに対する愛で燃えていました。
 しかし時がたつにつれて熱心さがおとろえ、神に対する愛もひえてきました。指導者たちも年をとって倒れていき、後をついだ人々のうちには、何か目新しいことを求めて、福音の土台と調和しない考えを主張したので、教会は混乱し、真理は見失われ、悪魔の力が勝利するかのようにみえました。
 このような教会の危機に、ヨハネは捕えられ、パトモス島に流されたのです。しかしこれは神の導きでした。人里はなれた孤島でキリストはヨハネを通して教会に対するメッセージをお与えになりました。それは勝利を保証するメッセージでした。黙示録はよみがえられたキリストが、教会にお与えになった手紙です。
 この手紙はヨハネの長い生涯の間にも、衰えるようにみえなかった悪の勢力を、キリストが必ず征服なさるという知らせでした。キリストは、悪の勢力の戦術を明らかにし、これに対して勝利する方法をお示しになったのです。黙示録は、善悪の争闘がそのクライマックスに達しようとしている現代の私たちにとって大きな導きを与えています。
 黙示録は大きく次の4つの預言にわけることができます。

(1)7つの教会 1章-3章
(2)7つの封印 4章―8章1節
(3)7つのラッパ 8章2節―11章
(4)終末の事件 12章―22章
 
 これを軸にして、黙示録の世界をみたいと思います。


2.7つの教会

 黙示録のはじめの部分は、小アジアの7つの教会にあてられた手紙です。これらの手紙はその時代の教会にあてられたばかりでなく、ヨハネの時代から世の終わりまでの教会の7つの歴史的時期をあらわしていることは、一般に認められています。これらの手紙の中に指摘されたよい点悪い点を総合すると、教会の理想的な姿を想像することができます。
 各時代の教会についてくわしく研究することはできませんが、主要な点を考えてみましょう。
 まず1章12、13節に7つの金の燭台の間を歩いておいでになるキリストの姿が示されています。燭台は教会をあらわしていてこれはキリストが教会とどんな関係をもっておいでになるかを示しているのです。キリストは天において私たちのために奉仕しておいでになると同時に、地上にある教会や私たちと密接な関係を保っていて下さいます。教会は人間だけの集まりではありません。キリストがその中においでになるのです。そしてこのキリストはあなたのすべての必要にこたえ、最もよい道に導いて下さいます。
 初期の教会の中に既に間違った教えがはいってきていました。信仰のための試練もあり、多くの人々が福音の真理に対してもっていたはじめの愛を失いました。これは私たちも気をつけなければならない危険です。しかしキリストはいつまでも私たちを愛して「あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい」(ヨハネの黙示録2章5節)といわれるのです。
 教会には欠点もあり、きびしいけん責が必要ですが、神のけん責はいつも愛のうちになされ、悔い改める者に対するゆるしの約束が語られています。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(ヨハネの黙示録3章20節)とキリストは言われるのです。
 信仰のために戦いの中にある人々には、はげましと約束の言葉が送られました。「わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである」「忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう。わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい」(ヨハネの黙示録3章8、10、11節)
 7つの教会の最後はラオデキヤ教会で、再臨直前にある今日の教会をあらわしています。この教会について、「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない」(ヨハネの黙示録3章17節)といわれました。「汝自身を知れ」といった哲学者がいましたが、自分のほんとうの姿に気がついていないということは、ある場合非常に危険です。富んでいる、豊かであるという自己満足におちいれば、自分の欠点もわからず、成長もなくなります。この対策として、「富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるために、目にぬる目薬を買いなさい」(ヨハネの黙示録3章18節)といわれています。ここにあげられている金は愛と信仰を、白い衣は私たちに与えられるキリストの義をあらわしています。心をキリストにささげるとき、キリストのような生活をする力が与えられ、私たちの生活に、キリストの品性があらわされてきます。また目薬は神の言葉をあらわします。聖書の言葉は良心を鋭敏にし、霊的なものをみる目を与えます。
 教会は堕落したこともありましたが、いつの時代にも忠実に真理の光をかかげた人々がいました。そしてヨハネは忠実に神に従った人々が、最後に善と悪との大争闘に勝利して永遠の神の国に立っている姿をみました。「またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た」(ヨハネの黙示録15章2節)


3.7つの封印

 7つの封印には、7つの教会と並行に、キリストの時代から再臨までの歴史的な時期に起こるいろいろな事件が示されています。これらの事件は最後の審判の時に、悪人をさばく証拠となる重要なものです。この中に私たちは人間の罪と対照して、キリストの深い愛をみることができます。またここに示されている事件は、終末に至るしるしでもあるのです。
 ヨハネは最後に救われた人々について、「『彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう』」(ヨハネの黙示録7章15―17節)と述べています。
 神は終末に至る歴史を支配し、間もなく罪と苦しみをぬぐい去って下さるのです。


4.7つのラッパ

 聖書の記者はラッパのひびきからさばきを連想しましたが、7つのラッパは、神に反逆する者に対する部分的なさばきをえがいています。また神が忍耐とあわれみをもって罪を処理なさる姿をみることができます。
 7つのラッパの最後の場面は、神の計画の成就です。神に反逆するものはすべて正当にさばかれ、完全な神の支配が回復するのです。
 「第7の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、『この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう』。そして、神のみまえで座についている24人の長老は、ひれ伏し、神を拝して言った、『今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。諸国民は怒り狂いましたが、あなたも怒りをあらわされました。そして、死人をさばき、あなたの僕なる預言者、聖徒、小さき者も、大いなる者も、すべて御名をおそれる者たちに報いを与え、また、地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました』。」(ヨハネの黙示録11章15-18節)


5.終末の事件

 黙示録12章よりはじまるこの部分では、第2巻で学んだキリストと悪魔との大争闘の発端をのベ、13章ではこの争闘で悪魔が用いる2つの組織について述べています。それはいずれも宗教と国家権力が結びついた体制で、1つは背教的なローマ・カトリック教会と国家の結びつき、もう1つはアメリカ合衆国における国家と宗教の結びつきですが、くわしいことは第7課で研究したいと思います。
 14章は神がお用いになる諸勢力を説明し、その問題となる争点をさらにくわしく述べています。このことは第30課で学ぶことになっていますが、ここには歴史の最後における神のあわれみと救いのチャンスが示され、そのクライマックスはキリストの再臨です。
 さて神のあわれみによる福音の招待を最後まで拒んだ人々には、さばきがくだります。これは7つの災害(ヨハネの黙示録15章6節)といわれています。前のラッパは部分的なさばきでしたが、この災害は悪を行うすべてのものに及びます。しかもこの災害で滅ぼされる人々はそれぞれに理由があり、この災害はきわめて速やかに起こってくるのです。たとえば第3の災害で川と水の源はみな血になりますが、それに対して神の天使は、「このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」(ヨハネの黙示録16章5、6節)といいました。
 この災害には神のあわれみはもはやありません。悔い改めることができる時期は永久にすぎ去ってしまったのです。
 このような災害のときも、神の民は守られ、天使がその必要をみたしてくれます。「正しく歩む者」には「そのパンは与えられ、その水は絶えることがない」(イザヤ書33章16節)「貧しい者と乏しい者とは水を求めても、水がなく、その舌がかわいて焼けているとき、主なるわたしは彼らに答える、イスラエル〔神に従っている人=著者注〕の神なるわたしは彼らを捨てることがない」(イザヤ書41章17節)と約束されています。
 次に7つの災害をもたらす天使のひとりが偽りの宗教組織のさばきを示しました。
 そのあとキリストの再臨、千年期とつづきます。千年期の終わりに起こることは第2巻で学びました。すべての悪が滅ぼされて、清められた地上に神の都エルサレムが天からくだってきます。そこでは「神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21章3、4節)とあるように、人間のすべての問題は完全に解決するのです。
 この聖なる都エルサレムは神が愛する者のためにそなえて下さった永遠の都です。ヨハネはこの新しい都を描写していますが、それは美しい都であり、憎むべきものは一つもありません。そして最もすばらしいことは、「神と小羊〔キリスト=著者注〕との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである」(ヨハネの黙示録22章3、4節)という神と人との自由な交わりが完全に回復することです。
 「主イエスよ、きたりませ」(ヨハネの黙示録22章20節)という待望の言葉と「主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように」(ヨハネの黙示録22章21節)という祝福の言葉でヨハネはこのおどろくべき書を終わっています。




第28課 復習問題


※問題をクリックすると解答が開きます。

答え: 「黙示録において聖書の全ての書が出会い、そして完結している」

答え: キリストの12弟子の一人ヨハネ、パトモスという島

答え: 時がたつにつれて熱心さがおとろえ、神に対する愛もひえてきました。指導者たちも年をとって倒れていき、後をついだ人々のうちには、何か目新しいことを求めて、福音の土台と調和しない考えを主張したので、教会は混乱し、真理は見失われ、悪魔の力が勝利するかのようにみえた

答え: 神に反逆する者に対する部分的なさばき

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