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第12課 キリストの復活―事実の証拠

はじめに

前回は、キリストの復活について、聖書が伝えていることを叙述のかたちで紹介しました。しかし、この出来事は歴史の上に起こったことではありますが、事柄それ自体じつは歴史を超えた事実でもありますので、われわれの理性や常識ではそう簡単に理解も納得もできる性質のものではありません。そのため、これまで種々の合理的解釈が試みられてきたわけですが、しかし、どんなに理知のかぎりを尽くしての解釈も、聖書の記事と調和させることはできませんでした。ということは、キリストの復活に関して聖書が言おうとしていることは、文字通りの意味であってそれ以外の意味で言っているのではないということです。あとは、これを読む人また聞く人が、それを信じられるか信じられないかの問題ということになるわけです。
だが、それにしても、いったいそういったことを文字通りに信じる人などいるものだろうか、と首をかしげる人がほとんどではないかと思われます。ところが、今世界にキリスト教徒が一九億もおり、その大多数がキリストの復活を事実起こった出来事として信じているのです。少なく見積っても、世界の人口のうち四人に一人が、そう信じているという事実があるのです。
もちろんその中には、世界的に著名な知識人(科学者や歴史家も含めて)も大勢います。
ではそのような人々が、どういう理由で、なにを根拠に信じているというのであろうか。もちろん究極的には信仰によって、ということになるわけですが、しかしそれは盲信といったものでは決してありません。やはりそれなりの証拠また根拠をよく調べて確認したうえのことなのです。
ではいったい、それにはどういう証拠また根拠があるというのか。それは普通一般の人々でも理解でき、また認めうるものなのかどうか、それをこれからご説明したいと思います。

キリスト復活の証拠

1、弟子たちに見られるいちじるしい変化
キリストの復活前の弟子たちは、まことに意気地のない弱い人々でした。それは、つぎのことに、もっともよくあらわれています。

「そのとき、イエスは弟子たちに言われた、『今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。「わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう」と、書いてあるからである。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう』。するとペテロはイエスに答えて言った、『たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません』。イエスは言われた、『よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』。ペテロは言った、『たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません』。弟子たちもみな同じように言った」(マタイによる福音書26:31-35)

これでみると、弟子たちはいかにも勇気ある人々のように見えます。ところが、イエスが予告しておられたように、主が捕らえられると、弟子たちはみな逃げ去ってしまいました。ひとりペテロだけは、それでもやはり心配になったのでしょう。裁判の行われている大祭司の中庭に座り込み、何食わぬ顔で様子をうかがっていました。そこへ、ひとりの女中が近寄ってきて『あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった』というと、ペテロはそれを打ち消しています。そのすぐあとほかの女中が彼を見て同じように言うと、再びそれを打ち消したばかりか『そんな人は知らない』と誓って言った、とあります。しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて『確かにあなたは彼の仲間にちがいない』と言うと、『その人のことは何も知らない』と激しく誓ったと記されています。
ところがそのとき、イエスが言われた通りのことが現実に起こったのです。

「するとすぐ鶏が鳴いた。ペテロは『鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた」
と聖書は記しています。

このように、死を賭して行動を共にすると誓ったその舌の乾かぬうちに、三度も繰り返して、自分はイエスを知らないし、彼とはなんの関係もないと言い切っている。これは、イエスのように捕まったら大変だという。いわば保身のためにイエスを裏切ったのです。彼は結局臆病で卑怯な人間であることをさらけ出してしまったということなのです。ところがどうでしょう。イエスの復活という事件のあとの弟子たちというのは、打って変わって、まるで別人のような感じさえします。
イエスの死後、隠れ家に身を潜めていた弟子たちが、突如人々の前に姿をあらわし、大胆にも『あなたがたはキリストを十字架にかけて殺してしまったが、天の神は彼をよみがえらせてくださったのだ。われらはその証人である。いまこそ、その罪を悔い改めてゆるしを求めるべきである』と声を大にして訴えています。
彼らは官憲に捕らえられ、裁判にかけられて、イエスのことについて人々に語ることをしてはならぬと厳しく禁じられたにもかかわらず、彼らは口を閉ざすことをしませんでした。そればかりか、『神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない』と言い張った。そこで祭司たちは、この弟子たちの語ることに傾聴していた群衆の手前、これを罰することもできず、さらにおどしたうえでゆるしてやった、とあります。

暫く前、あれほど意気地なしの卑怯者であった弟子たちが、どうしてこのように大胆で勇気ある人々に変わったのか、これは何かよほどのことがないかぎり、このような変化の起こるはずはないといわねばなりません。
ではいったい何があったのか、これはキリストの復活が事実として起こったことをほかにしては考えられないことです。

2、群衆の上にみられる不思議な変化
イエスの噂を聞いた群衆は、日増しに大勢イエスの回りに群がり集まって来るようになりました。あるときは数千人、女子供を加えると一万人を超すほどになりました。
しかし、これらの群衆がイエスに求めたものは、病のいやしであったり、ローマの属国となっていたユダヤをローマから解放してくれる政治的救い主をイエスに期待していたのでした。そのためイエスが十字架の死を予告し、そういう意味の救いを説くようになると、群衆は当てが外れたと感じ、イエスに失望して彼の下を去っていくようになりました。

「弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、『これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか』…それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった」(ヨハネによる福音書6:60、66)

ところがどうでしょう。キリスト復活の記事の後、この人々にも不思議な変化が見られるのです。
イエスの弟子たちが、群衆の前に現れ、イエスの身に起こったことについて、説教をしています。

「あなたがたはイエスを十字架につけて殺したが、彼は天の神によって死から解放され、よみがえられた。しかも彼は天にあげられ、その証拠として聖霊をお下しになった。われわれはその証人なのだ」と訴えたのでした。
その結果はどうだったでしょうか。「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、『兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか』と言った。すると、ペテロが答えた、『悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい』」(使徒行伝2-37、38)

その結果、なにが起こったかといいますと、聖書にはつづいてこう記されています。
「そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった」(使徒行伝2:41)
「彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった」(使徒行伝4:4)

この不思議な変化は、何が原因であったのか。これはキリストの復活が、事実として起こったということをほかにしては、説明のつかない問題だと思います。

3、使徒パウロの証言
パウロはユダヤ人であり、最高議会の議員の一人でした。かつて彼はキリスト者を迫害していたキリスト教の敵対者でした。彼はキリスト者を殲滅するためにダマスコというところにやってきたとき、復活したイエスが彼にお現れになり、「キリスト者を迫害するのはわたしを迫害することにほかならない」と彼の行為は神への敵対行為であることをお示しになりました。こうして彼は自分の行為のあやまりをさとり、改心してキリストの忠実な僕となったのでした。その彼がこういっています。

「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している」(コリント人への第一の手紙15:3-6)

このパウロの証言の中で、とくに注意していただきたいのは、彼が人々に伝えたことの中で最も大事な点として、キリストの十字架と共に復活をあげていることです。しかもそれは、聖書に預言されていたことの成就として起こっていることだといっています。そのうえ復活は、死後三日目によみがえったと言っている点に注意が必要です。これはキリストの復活が時間的に、言い換えれば歴史的に起こったこととして証言しているのです。
とくに「五百人以上の兄弟たちに同時に現れた」と言っていますが、それらの人たちのうち、年老いて眠った者もいるが「大多数は今も生存している」という、これ以上の証拠をほかに必要とするでしょうか。これは決定的な証拠というべきでしょう。
スイスの思想家として知られるカール・ヒルティは、もともと法律家として重きをなしていた人ですが、彼はある本の中でこんな意味のことを言っています。
「世界の凡ての歴史的事件の中で、キリストの復活ほど歴史的に確実なものはない。五百人以上もの立派な証人がいるのだから」。
たしかに、目撃証人が何百人もいるという出来事を、どうして否定したり疑ったりできるでしょうか。
アメリカの大統領であったアブラハム・リンカーンがこう言っています。
「人はある種の人をいつまでもばかすことができるし、またあるときには、すべての人がばかされることもある。しかし、人はすべての人をいつまでもばかし続けることはできない」。
パウロの証言は、五百人以上の人が同時に復活のキリストを見たというのです。しかも、それを二千年後の今日まで、何億もの人が信じつづけているのです。これがどうして、まやかしなどでありえましょうか。

4、キリスト教会の成立と出現に見られる証拠
なかには、これがキリスト復活の証拠となんのかかわりがあるのか、と怪訝に思われる方があるかも知れません。しかし、これもやはり有力な証拠になるのです。
ともうしますのは、もしキリストの復活がなかったら、弟子たちは信仰を失ったままで終わってしまっていたに違いありません。弟子たちの信仰は、キリストの復活によって再び取り戻すことができたのです。キリスト教会は、この弟子たちの信仰が回復された結果として誕生しているのです。ですから、われわれはキリスト教会によって、こんにちこの目でキリスト復活の証拠を見ていることになるのです。
ケンブリッジ大学教授から、英国のカンタベリー大主教となったA・M・ラムゼー博士はこう言っています。
「キリストの復活の証拠は、キリストの教会が存在することである」
またオックスフォードならびにケンブリッジ大学の教授を勤めた新約学者D・C・ドット博士もつぎのように言っています。
「キリスト教会は、キリストの死と復活の二重の事件の結果として生まれた」
とすれば、現に世界各地にキリスト教会が存在していること自体が、キリストの復活が歴史的事実であることの今日的証拠である、ということにもわけなのです。

5、安息日の変更に見られる証拠
安息日というのは、天地創造の記念日であり、一周のうち一日仕事を休む日のことを言います。これは、神が人類にお与えになった道徳律法、十戒の第四条に定められている戒めのことです。
聖書によれば、そして十戒の条文には第七日とあります。ですからこれは、こんにちの土曜日に当たります。
ところが、こんにちは第一日、すなわち日曜日が聖日と呼ばれ、休みの日となっています。これは、ローマ法王によって変更された結果なのです。安息日が神の戒めである以上、人が勝手にこれを変更していいものかたいへん問題です。しかし、その是非についてはいま問わないとしても、これには何かよほど重大な理由がなければならないはずです。、その理由というのはほかでもなく、キリストが復活したのは日曜日であったから、ということなのです。
もしキリストの復活が歴史的事実でなかったとしたら、日曜日を聖日とする理由も根拠もなくなってしまうはずです。そう考えれば、神の十戒第四条・安息日の変更こそは、こんにちの社会に、そしてわれわれの日常の生活の中にみられるキリスト復活の歴然たる証拠といってよいわけです。

6、個人的経験に見られる証拠
これについて、もっとも顕著な例を聖書のなかからあげるとすれば、それは使徒パウロということになりましょう。
彼はユダヤ人であり、ガマリエルの門下生として最高の教育を受けた知識人でした。そのうえ彼は、ユダヤの最高議会の議員の一人でした。しかも彼は、ユダヤ教に熱心の余り、キリストを信じる者たちは異端であり、神への反逆者であるとして、これにはげしく反対し、迫害の急先方として、キリスト信者から恐れられていました。
ところが、この彼がキリスト教迫害のあやまりを悟り、迫害をやめたばかりか、彼自身が熱心なキリスト教徒になり、さらに使徒となって、伝道のために生涯をキリストにささげ、ついに殉教しているのです。
いったい何がこのように彼を変えたのでしょうか。それは、十字架の死後よみがえられたキリストが、彼にお現れになって、彼に語りかけ、彼の心を変えてくださった結果なのです。そればかりか、キリストは異邦人に福音を伝えるための器として、彼をお召しになったのです。

このことは、使徒行伝9章に詳しく記されています。それによると、彼は復活のキリストと出会うことによって、彼自身が変えられ、キリストに敵対していた者がキリストの使徒また伝道者となり、人を殺していた者が人を救う者となり、キリストへの迫害者であった者が、ついにはキリストのために殉教しているのです。なんという驚くべき変化でしょう。
これは、今から二千年前のパウロ一人の経験にとどまりません。その後の全歴史を通じて、おなじ経験をした人が無数に存在したのです。
これは戦後にあったはなしなのですが、南洋のある島にあったことだそうです。かつて人食い人種の酋長であった老人が、家の前で椅子に腰掛けて熱心に聖書を読んでいました。そこへ一人の白人が通りかかり、声をかけて尋ねました。
「あなたはいったい何を読んでいるのかね」
「これですか。これは聖書ですよ。わたしは毎日欠かさずこれを読んでいるんです」
白人は無神論者であったらしく、それを聞くとからかうつもりでこう言いました。
「なあんだ、聖書か。そんな古臭い書物を読んでどうするつもりかね。今の時代、文明国ではそんなものを読む人なんかもういないよ」
すると、元酋長はこういったというのです。
「あなたはそうおっしゃいますが、しかし、わたしがこれを読んでいなかったら、あなたは庭の片隅にあるあの大きな釜に投げ込まれて、いまごろわたしのこのお腹の中に入っていたことでしょうよ」
これを聞いた白人は、何も言えず、そそくさとその場を立ち去ったという話です。
このような人間の驚くべき変化というものは、復活したキリストが今も生きて働いておられる何よりの証拠ではないでしょうか。

キリスト復活の事実に対する人々の対応

キリストが、十字架の死後三日目に生き返ったという、この聖書の記事を読んだり聞いたりして、人々はいったいどのような反応を示すのでしょうか。
これについて、それを代表するような出来事が聖書に記されています。

「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、『この事については、いずれまた聞くことにする』と言った。こうして、パウロは彼らの中から出て行った。しかし、彼にしたがって信じた者も幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた」(使徒行伝17:32-34)

使徒パウロが当時学問の都といわれていたキリシャのアテネにやってきて、キリストの復活について説教した際、これを聞いた人々が三つのグループに分かれたようです。
第一のグループは、これを一笑に付したというのです。頭から軽蔑し嘲笑したというのです。
第二のグループは、あざ笑うことはしなかったが、さりとてその場で信じることもしない。「いずれ機会があれば、また聞くことにする」と言ってその場を去ったようです。
第三のグループは、その場でただちに信じてしたがったというのです。しかも、その中には、普通の庶民もおり、婦人もいたが、デオヌシオという裁判人もいたと記されています。これは知識人であり、社会的にも高い地位と権威を持つ人であったのです。
こんにちも同様です。キリストの復活を信じる人々のほとんどは、一般庶民です。しかし、なかには教養のある知的な人も少なくありません。それどころか、大統領や大学の教授また科学者もいるのです。
たとえば、『わが希望の根拠』という本の著者として知られるジョン・R・モット氏、この方は、七つもの博士号をもつすぐれた知識人でした。当時大統領以上の人物としてアメリカ人の尊敬を受けていたともいわれています。しかしこの方は、復活のキリストを人々に知らせることが、なによりも大事なことと考え、「復活のキリストこそ世界の希望である」として、それを伝えるために、生涯を神にささげたのでした。
キリスト教とは縁が薄いと思われる日本においても、いくらでも名をあげることができます。内村鑑三氏をはじめ、彼の信仰の弟子であった、南原繁氏(東大総長)・矢内原忠雄氏(東大総長)・藤林益三氏(最高裁長官)などがいますが、もちろん科学者のなかにもいます。わたしの知るかぎりの人をあげてみますと、東大教授の中に、菅野猛氏・森謙治氏・渡辺正雄氏などがあります。
これらは、世間的に比較的著名な方々の中のほんの一部にすぎません。

キリストの復活に関する証言

キリストの復活ということは、歴史的史実として広く知られ、また信じられていることであるにもかかわらず、わが日本においては、これを非科学的なことという理由で、聞き流されているのが実情です。西洋にはそういった信仰があるようだといった程度の受け止めかたで、それは単なる思想また観念であって、歴史的できごととは夢にも考えない、というのが日本的理解の特色といってよいでしょう。
しかし、キリストの復活は、そんな文学的・哲学的なある思想また考えかたといったものではないのです。それは歴史上実際に起こった出来事なのです。
キリストの復活をそのように受け止め、信じた人々の証言を二、三、参考までにご紹介してみましょう。
世界的に著名な神学者カール・バルトは、次のように言ってます。

「十字架につけられ給うた方が三日目に甦り給うたという事実を、われわれは一瞬も忘れてはならない.また,見落としてはならない」
「われわれはよみがえりを、何か精神的な事件に解釈し直してはならない。そこには空の墓があったということ、新しい生が死の彼方に示されたということーそのことをわれわれは聞かねばならぬ。告げられねばならぬ」。
そして、こうも言っています。
「復活節はもちろん、第一にわれわれの希望の担保である」(以上、バルト「教義額要網」)。
いったいこのキリストの復活が、歴史的出来事であるということは、われわれにとり、この世界にとって、どんな意味があるというのでしょうか。
カール・バルトと並び称せられる神学者エミール・ブルンナー博士は、ある説教の中でこのように語っています。
「われわれは、この復活が普通考えられるよりもはるかに偉大なものであることを学ばなければなりません。復活とは単に十字架にかかって死なれたイエスが再び復活の日によみがえられたということではありません。いわばそういった一つの個人的な体験ではありません。むしろイエスの復活とは、われわれの世界に新しい世界が侵入すること、神の世界が侵入することなのです」。
アメリカの大統領ジミー・カーター氏の言葉も併せてご紹介しておきましょう。
「彼は神にして人であり、全能であり、全知であり、心優しく、憐れみ深く、苦しみを受け、軽蔑され、人の罪を担い、弟子からは見捨てられ、公に処刑された。しかしイエスは復活し、今では世界中で何億もの信仰者から礼拝されている」。
もちろん日本においても、著名な人の中にキリストの復活を歴史的な事実として認め、また信じた人がいないわけではありません。もっともよく引用されるのは、なんといってる内村鑑三氏でしょう。彼はキリストの復活について多くのことを語っていますが、その一、二を紹介しましょう。

「イエス・キリストの復活、復活はイエス・キリストの場合においては当然である。自然的である。うけがうべくある。信ずべくある。罪の子なる人間の場合においては、在るべきことにあらずといえども、神の子なるイエス・キリストの場合においては当然起こるべきことである」。
「然り…復活こそは、実にわが救いの中心である。われらをつなぐ力である。かつてある人言いしごとく、人生は至るところ厚き鉄の塀を以て囲まる。唯一路はるかに高く清く自由なる別世界に通ずるの途がある。何ぞや、いわくキリストの復活である。もしその門を閉じんか、われらはまたもとの狭き牢獄に帰るの外ないのである、と。キリストの復活はわれらが唯一の望みの綱である」。
内村鑑三氏の信仰の弟子塚本虎二氏(商務省高官出身)は、こう記しています。
「復活の信仰のないキリスト教は、結局ガソリンのきれた自動車以上のものではない。」
しかし、これは教会よりはむしろ、この世界に当てはまるのではないでしょうか。すなわち「キリストの復活を知らない、知っても認めないこの世界は、川下の滝壺に向かって流れ行く、とも綱のきれた小船のようなものである」と。

むすび

さて、キリストの復活が歴史的事実であるとするなら、ではそのキリストはいまどこにいるのか。そこで何をしておられるのか。そのキリストを見た人がいるのか。われらもそのキリストに会うことができるのか、いろいろな疑問を抱かれるかたがおられようと思います。これについて聖書はなんと答えているのでしょうか。
使徒行伝1章には次のように記されています。

こう言い終わると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」(使徒行伝1:9)

しかしこうなると、あるかたは、「ああ、やはりそうなのか、どうせそんなことだろうと思ったよ」と、何かうまくちょろまかされたような気になってしまうかもしれません。雲につつまれて天に上ったなどといわれると、それ以上は追究しようもなく、うやむやに終わってしまうことになるだけになりそうだからです。
しかし、聖書が告げる神のメッセージはそんな類いの話しとは無縁です。天使は弟子たちにこう告げています。

「イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、『ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう』」(使徒行伝1:10,11)

天に上げられたイエスは、ふたたび戻ってこられるという。これを再臨と言います。われわれは、自分のこの目で再臨の光景を見、そのかたとお会いすることができるというのです。なんという希望、また慰めではないでしょうか。次回はその再臨について学びます。

要点の確認

  1. キリスト復活の証拠といっても、何分いまから二千年も前の出来事、物理的また物的証拠などあろうはずない。いったい何をもってたしかな事実であることを証明しようというのであろうか。さいわい、この事件について記す文献がある。それは聖書である。しかし、聖書の記録がはたして復活の事実を証明するのに、役立つものであろうか。文献による証拠は、こんにち学問の世界においても広く用いられており、有力な証拠たりうることに異論はないはずである。
  2. 問題はその記録の内容である。それが神話か、小説か、哲学思想なら、事件の証拠としては、意味をなさないかもしれない。だが、それが手紙であったり、日記であったり、メモであったりした場合には、これ以上の確かで信憑性のある証拠は外にないといってよい。これは刑事や検察官、弁護士や裁判官にとっては、決定的な証拠として立証しうるものとなるはずである。
  3. 聖書の記事に見られる証拠として、弟子たちの変化、民衆の変化などは、それこそなにか驚天動地のできごとが契機とならないかぎり、考えられないことであり、それはまさにキリスト復活が事実起こった出来事である証拠と見るほかはない。さらにパウロの証言も同様であり、五百人に近い生き証人を挙げての証拠である以上、だれも否定したり、抗弁したりはできなかったであろう。
  4. 教会の存立もキリストの復活が事実でなかったら、ありえなかったことであり、安息日の変更もこの事実をほかにしてはだれも考え及ばなかったことであり、またなしえなかったことであるのは、明白であろう。個人的経験というのは、しょせん主観の問題で、客観的証拠とはいえないといわれれば、それまでということかもしれないが、しかし本人はもとより、見る人の目からみれば、論より証拠というほかはない厳然たる事実なのである。
  5. しかも、このキリストの復活という出来事は、十字架と連結する事件であり、また再臨と連動する事柄であって、神の救いの計画における開始としての十字架と、完結としての再臨をつなぐ出来事として、とても大切な意味を持っているのである。これをしっかりと把握して、われら各自の信仰としなければ、われらの人生はまったく無意味なものとなり、したがって希望も慰めもない、砂漠同然の空しいものとなるほかはないであろう。
  6. もしわれらが、このキリストの復活を信じ認めるならば、神の救いの完成を意味するキリストの再臨を、輝かしい希望を持って待ち望むことができるようになるであろう。

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