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第7課 救い主の預言―その1、予型と象徴

はじめに

前課は、神のお立てになった救いの計画についての学びでしたが、そういう救いの計画というものは、罪を犯した人間が、あとで考え出したものではないのか、いいかえれば、それは罪の解決のための単なる辻褄合わせの空理空論にすぎないのではないのかと疑われる方があるかもしれません。もしそうであれば、救いの計画などといっても、それは人間の独りよがりの気休めにすぎない、ということにもなりかねません。
しかしこれは、人間が人間の智慧によって考え出した、たんなる理論などではないのです。これは、われわれ罪人のために、神ご自身がお立てになった救いの計画なのです。しかも、神がお立てになったものである以上、それはたんなる理論ではなく事実なのです。
とはいえ、それが事実であるというのなら、どうしてそれが分かるのか、またそれが事実と信じうる理由や根拠は何なのか、という問題です。それは、この第七課と第八課の研究によってあきらかとなります。

神による人間の創造と救いの計画

神は、神に背いた人類のために、救いの計画をお持ちになっていました。しかもこれは、人間を創造する前に立てておられたものであることが、次の聖句によって分かります。
「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう」(ヨハネの黙示録13:8)
ここに「ほふられた小羊のいのちの書」とありますが、これはキリストの十字架によって罪を赦された者は、やがての日に神の救いに入らしめられることを意味しています。しかも「世の初めから」とありますが、これは世界の創造に先立って立てられた計画であることを意味しているのです。これはアダムとエバが罪を犯す以前ということになりますが、そうすると、なかには神は人間を創造するとき、人が罪を犯すように創造し、そのように定めておられたのであろうか、それはなぜなのか、と問われるかたがあるかもしれません。
しかし、その理由はこうです。神は人間を創造するに当たって、ほかの動植物とちがって道徳的存在としてお造りになりました。ということは、自由意思を持つものとしてお造りになったということです。これは神に従うか否かは、人間自身が自分で選択できるようにされたということです。そうでないなら、人間はロボットにすぎなくなってしまうからです。
自由意思を与える以上、人が神に従わない可能性もありうるわけです。その場合にはどのようにしてこれを救済するか、その救済の方法が事前に構じられた上で、人間が創造されたのでした。これによってみても、人間の堕罪は、神に責任を問うべきでないことが明らかだと思います。むしろこれは、神の愛と創造の周到さを物語るものにほかなりません。

救いの計画の漸進的啓示

神はこの救いの計画を啓示するに当たって、これを漸進的な形による方法をとられました。それは、人間の教育の場合と同じ理由によります。
「この救いについては、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。彼らは、自分たちのうちにいますキリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。…これは、御使たちも、うかがい見たいと願っていることである」(ペテロの第一の手紙1:10-12)
これによると、この神の救いの計画を知るために、各時代の預言者たちは熱心に聖書を調べたというのです。しかも、天使たちでさえ、これが成就し実現するのを見たいと願ったとあります。ということは、これは宇宙的な意味を持つ関心事であることを示しています。しかも、これはこんにちその全貌が、ほとんどみな明らかになっているのです。
わたしたちも、これからそれを学ぶことになるわけで、どなたも大いなる関心をもって注意深く学んでいかれることを願わずにはいられません。

救いの計画の予型・象徴

神は、この救いの計画を預言の形で啓示されましたが、これに二つの方法がとられています。一つは予型・象徴の形、もう一つは言葉による預言また約束の形です。
今回は、前者についての学びになります。これはいわば、実物教訓あるいは視覚教材を用いての啓示ということになろうかと思います。

1、いちじくの葉衣と小羊の皮衣
アダムとエバは、禁断の木の実を食べた結果、生活環境に異変が生じました。
「すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」(創世記3:7)
これは、それまで温暖であった気候が変化し、寒さから身を守る必要が生じたということもあったかと思いますが、それ以上にふたりは自分たちが裸であることを知り、裸の恥を覆う必要から衣を作って身にまとった、ということのようです。
では、罪を犯す以前はどうであったのかということですが、彼らは神の栄光の反映としての光が衣となって身を包んでいたものと思われます。しかし、神に背いた結果、その光の衣が消えて、罪の裸が露呈されたということでしょう。
このいちじくの葉を綴り合わせて作った衣、これがいわば、文化の始まりということになろうと思います。人間の文化は、神に背いた人間が、みずからの工夫によって、罪を覆い隠し、美を持って装うための手段として考え出され、創出されたものといってよいでしょう。
しかしこれは、罪を処理し解決するためにはなんの役にも立たなかったということだと思います。ですから、聖書には、つづいて次のように記されています。
「主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた」(創世記3:21)
神は、いちじくの葉で造った衣を脱がせ、神が用意してくださった皮の着物を彼らに着せられたとあります。これは羊の皮で造った衣と思われますが、この羊はキリストを象徴しており、犠牲の羊はキリストの十字架、すなわち身代わりの死を予型として指し示しています。それと同時に、皮の衣はキリストの清いご品性と罪のない正しい生活またご生涯を、ガウンのようにわれわれ罪人に着せてくださることを意味していたのです。
「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい」(ローマ人への手紙13:14)
「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである」(ガラテヤ人への手紙3:26,27)
これらの聖句によって、神が着せてくださった皮衣とは、キリストの十字架による罪の赦しの象徴であり、それは信仰によって与えられるものであることを示しています。
すなわち、いちじくの葉衣は、人間の行いによる救いの例えであり、羊の皮衣は、信仰による救いの模型となっているわけです。
これによって神は、罪人の救いは人間の行いによっては得られない。神より恵みの賜物として与えられる救いを、信仰によって受け取ることによることを、教えようとしておられるのです。

2、神への供え物―地の産物と動物のいけにえ
アダムとエバに二人の子供があり、兄をカインといい、弟をアベルと言いました。
「日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、その群れの初子と肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかし、カインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた」(創世記4:3-5)
ある日、二人は神を礼拝するために、それぞれ捧げ物を持ってきました。兄カインは地の産物を、弟のアベルは小羊の初子を供え物としたとあります。
ところが、神は弟アベルの供え物を顧みられたが、兄カインの供え物を顧みられなかったというのです。どうしてでしょうか。神は動物の肉を好まれ、野菜や穀物がお嫌いだったからでしょうか。そんなことではありません。
この場合、カインの捧げた地の産物というのは、彼が地を耕し、働いて得た収穫物、いわば人間の努力、功績の象徴です。
これに対して、弟アベルの捧げた羊は労せずして授かったもの、これはいわば恵みによる賜物を象徴しているのです。
言い換えますと、兄カインの捧げた地の産物は、行いによる義の雛形であり、弟アベルの捧げた小羊は、信仰による救いを予型として示しているのです。
ここでも神は、救いは人間の行いによっては得られず、神の救いの計画を信受することによって、はじめて得られるものであることを教えておられるのです。

3、大洪水とノアの箱舟
今から四千数百年も前に、この世界が大洪水によって滅びたことが聖書に記されています。創世記の6章から9章にある物語で、ノアの洪水として広く知られています。これは神の刑罰として臨んだものでした。
「時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。そこで神はノアに言われた、『わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。…ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい』」(創世記6:11-13,18)
神は預言者ノアに、洪水の起こることを警告し、それから逃れるために、箱舟を造ってその中に入るようにお命じになられました。
ノアを通してのこの神の警告を無視して従わなかった者たちはみな滅び、この警告にしたがって箱舟にはいった者たちは救われて、洪水後の新しい世界に生き続けることができたと記されています。
この場合の洪水は、世の罪と罪に対する神の刑罰を象徴する雛形となっています。箱舟は言うまでもなく、神が用意してくださった救いの手立てを象徴しています。今日で言えば、エクレシヤすなわち教会または教会をとおしてこの世に提供されている神の救いを象徴的に示しています。それは福音であり、福音丸といってもよいものでしょう。これはキリストの十字架という救いの計画と、救いの聖業を模型として示しているのです。
しかも聖書によると、かつてこの世界は罪ゆえに洪水で滅ぼされたが、それにもかかわらず、人間は今もなお神に帰ろうとせず、罪の中に止まりつづけている。そのためこの世界は、こんどは火で焼かれて滅ぼされると聖書に預言されています。

「まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、『主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変わってはいない』と言うであろう。すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により、水でおおわれて滅んでしまった。しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである」(ペテロ第二の手紙3:3-7)

なんという厳粛な警告のメッセージでありましょうか。しかしまたつづいて次のようにも預言されています。
「しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち臨んでいる」(ペテロ第二の手紙3:13)
これはまた、何という幸いな訪れであることでしょう。神はわれわれのために新しいみ国を備えて、そこへわれわれを招いていてくださるのです。

4、アブラハムとイサクの献供
今から約四千年ほど前のこと、神の選民となったユダヤ人の祖アブラハムに臨んだ深刻な経験が、じつは驚くべき神の救いの計画を象徴する見事な縮図となっているのです。

「これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、『アブラハムよ』。彼は言った、『ここにおります』。神は言われた、『あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい』。アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた」(創世記22:1-3)

それまで神の民は、神を礼拝するとき、救い主キリストの象徴として、小羊を燔祭としてささげていたのですが、このとき神はアブラハムにたいして、ひとり子イサクをささけるようにお命じになったのでした。もちろんアブラハム自身、この神の声に接したとき、耳を疑い、心に迷いを感じたに違いありません。しかし、アブラハムはこの命に従おうとしたというのです。
それにしてもこんな理不尽な、非人道的な要求を神の命と信じて従うなど、どなたも何か異様な感じがして、実際にはとうていありそうもない、あまりにも現実離れのした話のように感じられることかと思います。たしかに、このアブラハムの気持ちや、このとき彼がとった行動は、現代人にはとてもすぐには理解しがたいことにちがいありません。
しかし、これは現代においても、これによく似た出来事がじっさいにあったことなのです。
戦時中、軍人にも国民にも歌われた軍歌の中に、こんな一節があります。

弾もタンクも銃剣も      思えば今日の戦いに
しばし露営の草枕       朱に染まってにっこりと
夢に出てきた父上に      笑って死んだ戦友が
死んで帰れと励まされ     天皇陛下万歳と
覚めてにらむは敵の空     残した声が忘られよか

当時の父たる者は、わが子を戦場に送るに当たって、天皇陛下のために戦死することを覚悟して送り出したのでした。これは、たんに夢の中だけのことではなく、父や母たちが、我が子に面と向かってそのように言い聞かせ、また励ましてわが子を戦場に見送ったという事実があったのです。
なかには、戦地に赴くわが子に短刀をわたし、捕虜になりそうになったら、いさぎよく自決するように言い渡した母親の話もあります。もちろん、戦争が終わって息子が無事生きて帰ってきたとき、その母親は息子の前にひれ伏し、畳に額をすりつけるようにして、あまりにも非情な、さきの仕打ちを、涙ながらに詫びたということではありますが…。
そんなわけで、アブラハムの話は、こんにちにおいてもありえない話ではないのです。違いといえば、日本の父の場合、対象が現人神、すなわち神ならぬ神、仮想の神であったのにたいして、アブラハムの場合は、天地を創造し人間に命を与えて生かしてくださっている実在の真の神であったのです。
この神にたいするアブラハムの信仰が、日本人の天皇にたいする信仰にはるかに勝るものであった以上、イサクをささげる決心をしたことは、気違いじみた世迷いごとなどではないことが、日本人ならだれもが推し量り得ることではないでしょうか。

「彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物でその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、『アブラハムよ、アブラハムよ』。彼は答えた、『はい、ここにおります』。み使が言った、『わらべを手にかけてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った』。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお『主の山に備えあり』と言う」(創世記22:9-14)

最初これを読まれるかたは、それにしても聖書の神は、なんと血も涙もない冷酷無情の神であろうか、と思われるかもしれません。いったい神は、なぜこのようなことをアブラハムに命じ、また求められたのでしょうか。
これは、ひとつには神がアブラハムの子孫を神の選民とする計画を遂行するに当たって、彼の信仰を試す必要があったということのようです。しかしそれだけではありません。じつは、神がアブラハムに、この体験を通して神の救いの計画を告げ知らせ、これを理解させ、神の救いの約束をたしかなものにすることにあったようです。
この場合、父アブラハムは天の父なる神のひな形であり、彼のひとり子イサクは神のひとり子といわれるイエス・キリストの予型となっているのです。
アブラハムにとって、ひとり子イサクをささげることは、どれほど堪え難い犠牲であり苦悩であり、悲痛な経験であったことでしょう。しかし、彼は自分の子を神に捧げようとした、その経験を通して、天の神がわれわれ罪人の救いのためにキリストを十字架に渡したもうということが、どれほどの犠牲であり、心の痛みであるかを、味わい知らされたということなのです。
そしてまた、それほどの犠牲と苦痛を耐え忍んで、われら罪人を救おうとされる神の愛が、どれほどのものであるかを、アブラハムはたんなる理屈ではなく、体験を通し身を以て深く思い知らされたのでした。
これは何と、キリスト降誕の二千年も前の出来事なのです。しかもこれは、歴史上のある出来事によって示された神の救いの計画の啓示であり、予言であり、約束でもあって、これこそは、神の救いの計画の真実と確かさを裏付けるものでもあるわけなのです。
いったい、歴史上にその証拠を提示して、救いを約束し保証する宗教が、このキリスト教をおいてほかに、果たしてあるでしょうか。

5、ヨセフはキリストの予型
創世記の37章から48章には、ヨセフという人物についての感動的な物語が記されています。これは文学的にも最高の作品と称賛されているものです。
アブラハムの子がイサク、イサクの子がヤコブ、そのヤコブに一二人の子供があり、下から二番目の子をヨセフといいました。父親ヤコブは、このヨセフを特別可愛がったということもあって、彼はお兄さんたちからねたまれ、かつ憎まれていました。
ある時のこと、羊を飼うため遠く家を離れていた兄たちの様子を見てくるように、父からいいつかったヨセフが、長い旅をして兄たちのところにやってきたところ、兄たちはヨセフを殺す陰謀をめぐらしていました。こうして、一時は穴に突き落とされていたのですが、ひとりの兄の計らいもあって死をまぬがれ、たまたまそばを通りかかった隊商を通じエジプトに奴隷として売り飛ばされてしまったのでした。
彼は王の高官ポテパルの奴隷となり、主人に忠実に仕えたため、重く用いられていましたが、主人の妻の誘惑を退けたため、讒訴によって牢屋につながれてしまいました。しかし、不思議な摂理によって、彼はエジプトの総理大臣に抜擢され、たまたま襲った飢饉からエジプト国民を救ったのでした。

この飢饉は、父や兄たちのいるカナンの地にも及び、兄たちは食料を求めてエジプトに下ってきたのでした。ヨセフはそれが兄たちであることがすぐ分かりましたが、兄たちはエジプトの総理大臣が弟ヨセフとは気付かず、夢にも思いませんでした。しかし、ヨセフが自分が弟であることを兄弟たちに明かした時、兄弟たちは喜ぶどころか、恐怖のため震え上がったのです。なぜなら、かつての自分たちの仕打ちにたいして弟ヨセフの復讐を恐れたからです。しかしヨセフはこう言っています。

「ヨセフは兄弟たちに言った、『わたしに近寄ってください』。彼らが近寄ったので彼は言った、『わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔やむこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救いをもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です』」(創世記45:4-8)

こうしてヨセフは、兄たちを責めることをしなかったばかりか、父親と兄たちをもエジプトに呼び寄せ、ゴセンの地に住まわせたのでした。
このヨセフの人柄や彼の生涯に起こった出来事、彼のとった態度や振る舞いのひとつひとつが、まさにイエス・キリストのご生涯とみわざの予型となっているのです。

このような、イエスのご生涯について、使徒パウロも次のように説明しています。

「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至まで、しかも十字架の死に至まで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引上げ、すべての名にまさる名を彼に賜った。それは、イエスの御名によって、天井のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」(ピリピ人への手紙2:6-11)

この聖句によっても窺われるように、ヨセフの生涯はイエスの生涯とじつによく似ています。しかもこれは、たんなる偶然の類似といったものではなく、あきらかに救い主イエス・キリストの予型となっているのです。

ですから、イエス・キリストがわれわれ罪人にとって、どういうかかわりのあるお方なのかを知るためには、ヨセフの物語を読むことが非常に大きな助けとなります。

6、出エジプトと過越節
ヨセフが生きている間は、エジプトで天国のような生活をしていたイスラエルの民も、ヨセフが世を去り、時が経つに連れて、彼らの境遇にも変化が生じるようになりました。彼らはエジプトの王に奴隷としてこき使われるようになってしまったのです。
長いこと異教の地で暮らしている間に、彼らは天の神を忘れるようになり、信仰が失われそうになりました。けれども、過酷な奴隷生活に堪えがたくなったイスラエルの民たちは、天の神に助けを祈り求めるようになったのです。
これに応えて、神はモーセをエジプトにお遣わしになり、エジプトの王パロに、イスラエルを解放するようお命じになったのでした。
しかし、パロはこれに応じようとはしなかったのです。そのために神は、エジプトに10の災いをお下しになりました。それは、パロが災いの下るごとに、イスラエルの解放を約束しながら、災いが去ると約束を破ってイスラエルをなかなか解放しようとはしなかったからです。

そこで神は、最後の災いとして、エジプト全国の動物のみか人間までも、初子という初子を撃って殺すという、世にも恐ろしい刑罰をお下しになったのでした。ただし神は、だれでもその災いを避けることができるように、逃れの途を構じ、それをお知らせになったのでした。

それは、小羊を殺し、その血を家の門の鴨居と柱に塗り、戸を閉じて外へ出ないようにということでした。エジプトの人びとは、神を信じませんでしたので、これを無視しましたが、イスラエルの民たちは、この警告と指示に従いました。
ところが、その夜刑罰の天使が現れ、門に血を塗ってある家の前は過ぎ越し、血を塗っていない家に押し入って、初子を撃って殺したのでした。この災いによってパロは神に抗し切れず、イスラエルを解放することに意を決したのでした。こうしてイスラエルの民たちは、三百年以上にわたるエジプトの奴隷生活に終りを告げ、神から与えられていた約束の地カナンにむかって旅立っていったのでした。

この出来事を記念して、イスラエルの民は過越の祭りを制定し、毎年盛大にこれを守るようになったのです。

「あなたがたはこの事を、あなたと子孫のための定めとして、永久に守らなければならない。あなたがたは、主が約束されたように、あなたがたに賜わる地に至るとき、この儀式を守らなければならない。もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』。民はこのとき、伏して礼拝した」(出エジプト記12:24-27)

では、このイスラエルの民の出エジプトの出来事と経験は、どんな意味を持つものなのでしょうか。

7、聖所・神殿とそこでの祭事
いまから3500年前、それまで奴隷にされていたエジプトから救い出されたイスラエルの民たちは、神の命によって聖所を設けました。

「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない」(出エジプト記25:8,9)

これは、旅の途中でありましたので、移動のため、折りたたみ式の簡便なものでしたが、彼らはカナンに入り、そこに定住するようになってから、本建築によるりっぱな神殿を建てています。
神が、この聖所を造るよう命じられた目的は何かといえば、第一は、神が民の中に住むためであり、そこで神は民と会見し、民の礼拝を受ける場所とするためでした。しかしこれには、それ以上のもっと深遠な目的があったのです。それは、この聖所の構造とそこで行われる奉仕が、じつは神の持っておられる救いの計画を象徴的に図示していたのです。この聖所はどのような構造であったのか、それを簡潔に説明してくれているのがヘブル人への手紙です。

「さて、初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった。すなわち、まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と供えのパンとが置かれていた。これが、聖所と呼ばれた。また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた。これらのことについては、今ここで、いちいち述べることができない」(ヘブル人への手紙9:1-5)

これをわかりやすく覚えていただくために、次に簡単な図をご覧ください。

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まず外回りの幕ですが、これは全世界を指し示しています。
この幕屋のおくに聖所(宮)があり、これはこんにちにおいては、教会の象徴また型と見ることができましょう。
幕屋の入り口からはいってすぐのところに燔祭の壇がありましたが、これは神に生け贄を捧げるところ、こんにちのわれわれの信仰にとっては、神への献身を象徴しています。
聖所のすぐ前のところに洗盤がありましたが、これは祭司が聖所に入るとき、身を清めるための水を入れてあるものでした。この洗盤は、こんにちのわれわれにとっては、福音を聞いてこれを信じた者は、生まれ変わりの象徴としてバプテスマを受けますが、それを象徴する型となっています。

聖所は、前の部屋と後ろの部屋とに分かれており、垂れ幕で仕切られていました。そして、前の部屋を聖所と呼び、後ろの部屋を至聖所と呼びました。
前の聖所の右側にパンの机、左側に燭台、前方垂れ幕の手前に香壇が置かれていました。パンは命の糧である神の言葉の象徴、香壇は祈りの象徴、燭台は真理の光の象徴でした。
イエスは「わたしは世の光である」(ヨハネによる福音書8:12)と仰せになり、また「あなたがたは、世の光である。…あなたがたの光を人々の前に輝かし」(マタイによる福音書5:14,16)とおっしゃっています。
至聖所には、十戒の石板を納める箱があり、その上に贖罪所と呼ばれる金の板状のものが置かれていました。
十戒の石板は、神のご臨在を示しており、それはまた来るべき神の国、天国を象徴するものでもありました。
ところで、ここでどんな儀式また奉仕が行われていたのでしょうか。

まず、ここでは朝晩小羊が犠牲として神にささげられていましたが、これは後代になって、十字架にかけられ、われわれ罪人の身代わりとなって死なれるイエス・キリストを象徴していました。
そこで奉仕をする祭司は、神と人との間に立って執り成しの働きをなさる仲保者イエス・キリストの予型。いけにえの小羊はキリストの十字架の象徴。聖所で奉仕する祭司は、罪人の執成者キリストの象徴。ここで型として象徴されている小羊も祭司も、どちらも人類の贖い主イエス・キリストを指し示していたわけです。
ゆえに使徒パウロはヘブル人への手紙の中で、このように説明しています。

「こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである」(ヘブル人への手紙10:11-14)

以上のように、キリスト降誕の1500年も前に、神の命によって設けられた、聖所の構造とそこでの儀式や奉仕によって、キリストがわれわれ罪人の身代わりとなって十字架の死を遂げられること、その後復活されたキリストが、われわれ罪人のために大祭司としての務めを行なっておられることが、予型として図示されていたのです。なんと驚くべきことではないでしょうか。
これは、なによりもまず、聖書の神は生ける神、実在の神であることを実証するものです。そして、イエス・キリストは、神が人となられた救い主であることを証拠立てるものとなっており、しかも神の救いの計画は厳然たる事実であることを、これは物語っています。

要点の確認

  1. 神は、すでに立てられていた救いの計画を人間に知らせるために、いろいろな方法をとっておられるが、その方法の一つが、象徴また予型による啓示である。
  2. アダムとエバが罪を犯したとき、いちじくの葉で衣を作り身に纏ったが、神はそれを脱がせて皮の衣を着せて下さった。いちじくの衣は自力の救いを、皮衣は神の恵みによる救いを象徴している。
  3. アダムの子等が神の前に捧げ物を携えて来た。神は兄カインのささげた地の産物をお受けにならず、弟アベルの小羊を加納された。それはなぜか。地の産物は己の功績を象徴しており、小羊はキリストの贖罪を象徴するものであったからである。
  4. ノアの洪水は、罪のこの世界に対する神の裁き、箱船は教会また福音の象徴・予型。
  5. アブラハムは天の父なる神の型。イサクは神の独り子キリストの型。イサクの献供は,罪人の身代わりとなられるキリストの十字架の死を象徴的に示していた。しかもこれは、キリスト降誕の二千年前のこと。
  6. ヨセフはエジプトに奴隷として売られ、牢屋に入れられたが、これはキリストがこの世に降り、殺されて墓に葬られたことの預言的象徴。牢屋から出されて総理大臣に抜擢されたのは、キリストが復活して天に挙げられ、世界の支配者となられることの預言的予型。これもキリスト降誕の二千年前のできごと。
  7. イスラエルが奴隷となっていたエジプトは、サタンの支配する罪のこの世の型。神の約束の地カナンは天国の型。出エジプトを記念して制定された過越節は、キリストの十字架の死と贖罪の預言的象徴。これはキリスト降誕の1500年前のできごと。
  8. イスラエルの民が建てた聖所は、教会のひな形であり、燔祭の壇は犠牲の死であるキリストの十字架の型。聖所の前の洗盤はバプテスマの型。聖所の器具、パンの机は神の言葉、香壇は祈り、灯台は真理の光、をそれぞれ象徴。至聖所の十戒の石の板を納めた契約の箱、これは義なる神の臨在の象徴。神の救いの計画の図形また模型。

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