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第18課 安息日

1. 安息日はいつ定められましたか

「こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。」創世記2 : 1-3

2. どなたがお定めになりましたか

「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。」コロサイ1 : 13-17

3. 創造主のみわざはどのように描写されていますか

「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。」創世記1 : 31

「こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。」創世記2 : 1-3

4. 安息日は誰のためにつくられたものですか

「また彼らに言われた、『安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない』。」マルコ2 : 27(注1)

5.神は安息日をどのようにみておられますか

「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。」出エジプト20 : 8-11

「もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う」。これは主の口から語られたものである。」イザヤ58 : 13, 14

「それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである。」マルコ2 : 28

「ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。」黙示録1 : 10

6. 安息日は何の記念ですか

「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。」出エジプト20 : 8-11

「主はそのくすしきみわざを記念させられた。主は恵みふかく、あわれみに満ちていられる。」詩篇111 : 4(注2)

7. 神はどんな奇跡を通して、その日を安息日に指定されましたか

安息日は十誡が与えられる前から守るように指示されていました。出エジプト16 : 4, 5, 14-30を読んで下さい。

この奇跡は40年間を通じて毎週繰り返され、安息日を2080回明示しました。

8. キリストと弟子たちは安息日を守りましたか

「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。」ルカ4 : 16

「預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。」マタイ24 : 15-20

9. 弟子たちは、イエスが十字架におかかりになった後も、安息日を守りましたか

「そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ。」ルカ23 : 56

「ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。」使徒行伝13 : 42-44

「ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。」使徒行伝16 : 13

「パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、」使徒行伝17 : 2

「パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。」使徒行伝18 : 4

10. キリストは安息日を変更されましたか

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」マタイ5 : 17, 18(注3)

11. クリスチャンは安息日を守る義務がありますか

「もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。『彼を知っている』と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。『彼におる』と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。」ヨハネ第一2 : 3-6

「主はこう言われる、『あなたがたは公平を守って正義を行え。わが救の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、悪しき事をせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである』。」イザヤ56 : 1, 2

「『もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しンを求めず、むなしい言葉を語らないならば、その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う』。これは主の口から語られたものである。」同58 : 13, 14(注4)

12. 失われた楽園の安息日は、回復される楽園の安息日と同じでしょうか

「『わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地がわたしの前にながくとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名はながくとどまる』と主は言われる。『新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する』と主は言われる。」イザヤ66 : 22, 23

「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、神の戒めを行う者たちは、さいわいである(欽)。」黙示録22 : 14

注釈

【注1】
ニューヨークの聖マルコ教会の教区牧師A.H.ヴィントン氏は、次のように言っています。「安息日の起源が、神がみわざをお休みになった創世時代にあり、地上にただ一つの家族しかなかった時代にあることは、それが、ユダヤ人に限らず全人類のために定められたものであることを立証している。さらに、救い主が『安息日は人のためにもうけられた』と仰せになった言葉は、他の特別な目的のために語られたものであったにせよ、安息日が世界的なものであるという思想を含んでいると思われる。もし安息日が人のために設けられたものならば、なぜすべての人々、全人類のために設けられたのだということができないのだろうか。ふたたび言うが、安息日は国家的なもの、地方的なものではなく、一般的な全人類のためのものであるThe Christian Sabbath(1862)pp.235, 236.

【注2】
ニューヨーク市19番街5番通りの長老教会牧師N.L.ライス氏はこう言っています。『十戒に安息日をあがめよという命令が加えられたのは、それが他の9条と同じく、世界的で永久的な義務であるという以外に理由はないのである。他のおきてが世のはじめに与えられたと同じように、第4条もまたその時に与えられたものである。安息日が定められた理由とそれが課せられた目的は、それが一つの国、一定の期間のためではなく、すべての人類、すべての時代のために定められたことを証明している』同上p.39。

【注3】
「ウォッチマン」というバプテスト派の機関誌には次のように記されています。「私たちはユダヤ人の宗制下に生きているのではないから、ユダヤの安息日も他のユダヤのおきてと同じようにクリスチャンを拘束する力はないというのをよく聞く。しかし、これは浅はかな誤った考え方である。十戒は人間のつくったあらゆる法律の中に含まれている。それは神のおきて、根本的な原則をあらわしているために拘束力があるのである。イエスは、自分は律法を廃するためでなくかえって成就するために来たと言われた。主がなさったことは、安息日をパリサイ主義と形式主義から救い、安息日は人の主でなく、人のためにあるのだという本来の地位にそれを回復したことである。安息日が人のために設けられたということには、人にその目的を実現するような用い方をする義務が負わされていることが含まれている」1896年2月27日。

【注4】
「安息日は人のため、全人類のために創造の時に定められ、聖なる目的のために聖別された。だからこの本来の制度は一度も廃止されたことはない。もし道徳律がクリスチャンのおきてであるなら、ユダヤ人に安息日を守る義務があると同じように、クリスチャンも安息日を守るように命じられていることを付け加えたい」Richard Watson, A Biblical and Theological Dictionary, art.”Sabbath.”

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