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第20課 日曜日遵守の起源

1. サタンの野心は何でしたか

「『雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』」イザヤ14 : 14

2. 人類が神を礼拝することをやめた時に、何を礼拝しはじめましたか

「行って他の神々に仕え、それを拝み、わたしの禁じる、日や月やその他の天の万象を拝むことがあり。」申命記17 : 3

「主はこう言われる、『異邦の人の道に習ってはならない。また異邦の人が天に現れるしるしを恐れても、あなたがたはそれを恐れてはならない』」エレミヤ10 : 2

3. あらゆる異教に共通した特別の神は何でしたか

太陽
「民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、『さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです』。アロンは彼らに言った、『あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい』。そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』。アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った、『あすは主の祭である』。そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。主はモーセに言われた、『急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民は悪いことをした』。彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている。」出エジプト32 : 1-8

子牛はエジプト人の太陽の神の象徴でした(民数記25 : 1-4)太陽礼拝(注1)

4. すべての異教の礼拝で誰が拝まれましたか

「彼らはほかの神々に仕えて、主のねたみを起し、憎むべきおこないをもって主の怒りをひき起した。彼らは神でもない悪霊に犠牲をささげた。それは彼らがかつて知らなかった神々、近ごろ出た新しい神々、先祖たちの恐れることもしなかった者である。」申命記32 : 16, 17

5. 悪魔はなぜ礼拝を望みましたか

いと高き者のようになりたいからです。(イザヤ14 : 14)

6. 神ご自身の民イスラエル人が主にそむいた時に、彼らは何に走りましたか

「こうして王は大祭司ヒルキヤと、それに次ぐ祭司たちおよび門を守る者どもに命じて、主の神殿からバアルとアシラと天の万象とのために作ったもろもろの器を取り出させ、エルサレムの外のキデロンの野でそれを焼き、その灰をベテルに持って行かせた。また、ユダの町々とエルサレムの周囲にある高き所で香をたくためにユダの王たちが任命した祭司たちを廃し、またバアルと日と月と星宿と天の万象とに香をたく者どもをも廃した。」列王紀下23 : 4, 5

エレミヤ7 : 17-19, 9, 10エゼキエル6 : 4(注・太陽の像);エゼキエル8 : 16(太陽礼拝)

7.どの日が太陽礼拝のために捧げられましたか

この日が日曜日と呼ばれるようになったのは、それが昔、太陽のため、またその礼拝のために捧げられたからである。(ウェブスター辞典)

8. 彼らは、太陽礼拝をするようになってから神の安息日をどのように取り扱いましたか

「しかしイスラエルの家は荒野でわたしにそむき、わたしの定めに歩まず、人がそれを行うことによって、生きることのできるわたしのおきてを捨て、大いにわたしの安息日を汚した。そこでわたしは荒野で、わたしの憤りを彼らの上に注ぎ、これを滅ぼそうと思ったが。」エゼキエル20 : 13

「これは彼らがその心に偶像を慕って、わがおきてを捨て、わが定めに歩まず、わが安息日を汚したからである。」エゼキエル20 : 16

「これは彼らがわがおきてを行わず、わが定めを捨て、わが安息日を汚し、彼らの目にその先祖の偶像を慕ったからである。」エゼキエル20 : 24

9. 神は、彼らを救うために、どんな使命を送られましたか

「主なるわたしはあなたがたの神である。わが定めに歩み、わがおきてを守ってこれを行い、わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。」エゼキエル20 : 19, 20

「主はこう言われる、命が惜しいならば気をつけるがよい。安息日に荷をたずさえ、またはそれを持ってエルサレムの門にはいってはならない。また安息日にあなたがたの家から荷を運び出してはならない。なんのわざをもしてはならない。わたしがあなたがたの先祖に命じたように安息日を聖別して守りなさい。しかし彼らは従わず耳を傾けず、聞くことも、戒めをうけることをも強情に拒んだ。主は言われる、もしあなたがたがわたしに聞き従い、安息日に荷をたずさえてこの町の門にはいらず、安息日を聖別して、なんのわざをもしないならば、ダビデの位に座する王たち、つかさたち、ユダの人々、エルサレムに住む者は、車と馬に乗ってこの町の門からはいることができる。そしてこの町には長く人が住むようになる。また人々はユダの町々やエルサレムの周囲、ベニヤミンの地、平地と山地およびネゲブから来て燔祭、犠牲、素祭、乳香、感謝祭をたずさえて主の家にはいる。しかし、もしあなたがたがわたしに聞き従わないで、安息日を聖別して守ることをせず、安息日に荷をたずさえてエルサレムの門にはいるならば、わたしは火をその門の中に燃やして、エルサレムのもろもろの宮殿を焼き滅ぼす。その火は消えることがない』。」エレミヤ17 : 21-27

10. キリストが地上に来られた時、異教徒はまだ太陽礼拝をしていましたか

ローマが世界を支配していたので、太陽礼拝は主要な礼拝でした。

11. イエス及びイエスと交わっていた人々はどの日を守っていましたか

第7日安息日。

「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。」ルカ4 : 16

12. 使徒パウロはどんな変化が教会に起こると言いましたか

「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。」テサロニケ第二2 : 3, 4(注2)

13.教会は何から落ちると預言されましたか

み言葉の標準から。

「わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。」使徒行伝20 : 29, 30

その時、教会に何が入りますか。罪の人(不法の者)。テサロニケ第二2 : 3, 4

「しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。」ペテロ第二2 : 1, 2

14. この権力は何をしようと試みますか

神のおきてを変えようとします。

「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。」ダニエル7 : 25

15. ローマ・カトリック教会は安息日を日曜日に変えたと自ら公言していますか

注3-5

注釈

【注1】
金の子牛はエジプト人が礼拝した聖牛を代表していました。「エジプト人が礼拝した牛アピスは、ナイル川の神であるオシリスの象徴であると考えられていた。オシリスはイシスの夫でエジプトの偉大な神だった」Chambers’Encyclopedia, art. "Apis.”「我々に光と暖かさと生命を与える、この偉大な天体に対する礼拝は、歴史ほど古いものである。それは、原始時代のフェニキヤ人、エジプト人、ペルシャ人、ヒンズー教徒の間で行われ、後年ヘリオス、ソル、バアル、オシリス、ミトラなどという異なった名前をその礼拝対象につけて、ギリシャや西ローマの人々によって行われた」M'Clintock and Strong, Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature, Vol.10, p17, Art.“Sun Worship .”

【注2】
「4世紀の神学は、迷信や異教の哲学のためにその純粋性を失い腐敗し始めた。死んだ聖者に対する極端な崇拝、死後のいわゆる煉獄における魂の状態に対する信念、聖職にある者の独身制度、偶像や遺物の崇拝、その他のいろいろな意見が時がたつにつれて真の宗教をほとんど駆逐してしまった。少なくともそれをあいまいなものにし、腐敗させた多くの思想がこの頃から始まった形跡がはっきりみられる。…異教徒たちが昔から、彼らの神殿や偶像やきよめに対して持っていたのと同じ考え方を、彼らはその神殿や型どおりに聖別された水や聖者の像に対して持つようになり、また、その効果を説いた。しかし当時は、まだ像はほとんどなかった。異教徒が人間を神に祭り上げてこれを拝んだのと同じことが殉教者に対して行われるようになった。コンスタンテイヌス帝によってもたらされた平和と繁栄と、異教徒をこの宗教に誘うために、その儀式や迷信に妥協した無思慮な熱意によって、どれだけの害がキリスト教にもたらされたか、これらの実例を通してみても容易に知ることができる。実に、ほとんどあらゆる誤謬は、それが教理上のものであっても、儀式上のものであっても、ここにそのみなもとを発している。その原型は、異教の哲学か、異教の礼拝のいずれかに見出されるのである」Rev. James Wharey, Church History, Cent.4, Sec.7, pp.60, 61.

【注3】
「ユダヤ教に対する反対によって、実に早くから安息日のかわりに日曜日の特別な祭りが導入された。…日曜日の祭りは、他のすべての祭りと同じように人間が定めた儀式に過ぎず、使徒たちは、日曜日遵守の制度を設けようなどとは毛頭考えていなかった。使徒たちも当時の教会も、安息日の律法(おきて)を日曜日に変更しようという考えは全くなかった。この種の誤った考えが起るようになチたのは、2世紀の終わり頃と思われる。なぜなら、このころには人々は日曜日に働くことを罪と考えていたようだからである」August Neander, History of the Christian Religion and Church, p.186.

【注4】
「宗教的、世俗的いずれにせよ、その日を安息日として守るように定めた最初の法律は、紀元321年にコンスタンテイヌスによって発せられた勅令であることはたしかである」Chambers’Encyclopedia, Art. "Sabbath.”

【注5】
「イエス・キリストの権威によってこの安息日を主の復活の記念として日曜日に変更したのはカトリック教会である。であるから新教徒は…日曜日を守ることによって、カトリック教会の権威に敬意を表しているわけである」Mgr.Segur, Plain Talk About the Protestantism of Today, p. 213.

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