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第4課 キリストは神であったか?

「あなたがたはキリストをどう思うか。」マタイ22 : 42

キリストについて様々な考えがあります。世界の歴史は真っ二つに分けられています。紀元前(B.C.=Before Christ=キリストの前)と紀元後(A.D.=Anno Domino=我らの主の日、キリストが生まれて後)で区分しています。キリストは神であったのでしょうか、人であったのでしょうか。神の言葉、聖書から学んでみましょう。

1. キリストは地上生涯の前にも存在されたのでしょうか

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。」ヨハネ1 : 1, 2

「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。」同17 : 5(ヨハネ5 : 58;コロサイ1 : 17参照)

2. キリストは神でしたか

「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。」ヘブル1 : 3

父なる神はキリストについて何と証言しましたか?

「御子については、『神よ、あなたの御座は、世々限りなく続き、あなたの支配のつえは、公平のつえである。』」同1 : 8

3. キリストは創造主でしたか

「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」ヨハネ1 : 1-3

世界の創造にあたった「言」とはキリストでした。(ヨハネ1 : 14)

キリストによって宇宙のすべてのものが創造されたのですか?

「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。」コロサイ1 : 15-17(ヘブル1 : 2参照)

4. 神なるキリストが人間になられたのは何の力によってでしたか

「御使が答えて言った、『聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。』」ルカ1 : 35

5. この事実は何と呼ばれていますか

「確かに偉大なのは、この信心の奥義である、『キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた』。」テモテ第一3 : 16

6. 神はなぜ御子イエス・キリストをこの地上に送られたのですか

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3 : 16

「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。」ヨハネ第一4 : 8, 9

7. キリストは何のために来られましたか

1.父なる神を表すため

「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。」ヨハネ1 : 18(ヨハネ14 : 9参照)

2.サタンの正体を暴露するため

「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。」ヘブル2 : 14, 15

3.人が神の律法に従い得ることを実証するため

「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。」ローマ8 : 2-4

「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。」ペテロ第一2 : 21

4.罪人に代わって死ぬため

「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の{りから救われるであろう。もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。」ローマ5 : 6-10

5.人の魂の可能性を実証するため

「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」ペテロ第一2 : 21-23(マタイ5 : 48参照)

「キリストの品性は、われわれが倣うことのできる完全な模範である。」教師への勧告 50

8. なぜイエスと名付けられましたか

「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」マタイ1 : 21(黙示録1 : 5, 6参照)

9. イエス・キリスト以外に人間を救う方法がありますか

「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」使徒行伝4 : 12

10.復活して天に帰られたイエスは再び来られます。何のために来られますか

「もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。」ヘブル9 : 26-28

「イエス」というのはギリシア語で、ヘブル語のヨシュアにあたり、「神は救いである」という意味です。「キリスト」というのはやはりギリシア語で「あぶら注がれた者」という意味で、ヘブル語のメシヤにあたります。

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