証、体験
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2023年3月15日 icon_002200_16.png當山 悦子

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LEFT:Tag: 信仰



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2022年12月20日 icon_002200_16.png當山 悦子

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2020年11月7日 icon_002200_16.png井上 慎一郎

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2020年11月7日 icon_002200_16.png斎藤 実千代

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「私らしく生きる」水野源三

2017年10月8日 icon_002200_16.png金城 重博
「私らしく生きる」水野源三
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エレン・ホワイトとは誰か?ー あるユダヤ教ラビの改心

2017年4月24日
エレン・ホワイトとは誰か?ー あるユダヤ教ラビの改心
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E.G.ホワイトとは誰か?ーユダヤ人ラビの質問
エルフレッド・リー(クリスチャン画家

私はカリフォルニアのウイーマー伝道機関でラビである、ジョー・カーガンに出会いました。彼の家族は、彼が若い時に、ヨーロッパから米国に移住しました。

彼が13才のときに、彼はカーネギーホールでカントル (教会音楽家)としてデビューしました。彼は美しいテノールの声を持っていました。高等教育を受けてラビになりました。私が彼に会ったのは1978年の後期、彼がロナルド・レーガン研究員のスタッフとしてサクラメントにいたときでした。どんな主題に関してでも質問があれば、研究してその答えを見出し得る人でした。

彼はキリスト教に対しては非常に否定的な態度を持っていました。新約聖書には一切触れませんでした。しかし、ラビとして高い教育を受けていたので、ユダヤ人の旧約聖書(トーラ)については精通していました。ある日、彼はE.G.ホワイトによって書かれた「Patriarchs and Prophets (父祖たちと預言者たち=人類のあけぼの)」という本を手にしたのです。私が彼に会ったのは、その時でした。彼は「E.G.ホワイトとは誰ですか、どの大学を卒業したのですか」と質問しました。我々は、「彼女は、小学校3年の教育しか受けていません」と答えました。「では、彼女はどこでヘブル語を学んだのですか」と聞きました。「彼女はヘブル語はいっさい知っていませんでした。しかし、歴史上最もすばらしい女性作家で、この本は、彼女の書いた多くの本のただ一冊にしかすぎません」と答えました。

彼は、彼女の知識に非常に驚いて、「この本「Patriarchs and Prophets (父祖たちと預言者たち=人類のあけぼの)」の情報はミシュナ的です」。ミシュナとはユダヤ教のヘブル語の古典です。「ミシュナが、英語に翻訳されたのは、ほんの30年前で、ただ、高級のラビしかこのような情報を持っていません」と言いました。「これは、私の民の歴史で非常に正確です」と言いました。彼はまた「このような書き方ができることは、ヘブル語を知っているはずだ、なぜなら、彼女の文章構造は、英語ではなく、ヘブル語であるである。…. リズム、節、言葉の取り決めと表現は英語ではありません。ヘブル語で書いて、英語に訳したような書き方である」とも言いました。

私の家族はジョーとその妻、子供らと親しい関係になりました。ある日、聖書とまたE.G.ホワイトの本を一緒に学んでいるとき、彼は言いました:「E.G.ホワイトは、ヘブルの預言者と同じ霊感の源を持っています。私はクリスチャンになりたい。私はイエス・キリストをメシアとして受け入れます」と。彼は、聖書を読むことによってキリストを受け入れるに至ったのではありません。ヘブル語の聖書にメシアについての預言はいっぱいありますが、イエス・キリストにすべて成就したことを知って、メシアであると認めるに至ったのは、E.G.ホワイトの書き物を通してでありました。そのとき、初めて彼は新約聖書を手に取り、ユダヤ人のメシアについて読んだのでした。私は、彼が読みながら泣いているのを何回か目撃しました。

私は、ワシントンD.Cにあるセブンスデー・アドベンチスト世界本部の大きな壁に「キリスト、生命の道」と題して壁画を描いている最中でした。彼も絵を描くことに協力してくれました。その絵画はもともと、エレン・ホワイトが彫刻師に白黒で描くようにと頼んだものでした。彼は、エレン・ホワイトの思想は、旧約、新約聖書にある救いの計画の全体系を非常に正確に把握していると私に確証しましたが、彫刻師は、彼女の考えていたことを間違えて表していました。そこで、彼は、詳細にわたり、歴史的に、神学的に正確に描くように多くの助けを与えてくれました。 特に聖所、十字架上のヘブル語、そして最後の晩餐について。彼は、イエスと弟子たちが、中世の芸術家が描いているローマのソファーではなく、東洋式に床に座ったスタイルで描くようにと言ってくれました。

さらに、彼は、弟子たちは被り物を被って、ブドウ汁と種入れぬパンと苦い薬草が象徴していたことを正確に描くようにと言いました。描き終わって、1979年の終わりにその壁画の除幕式をSDAアーバーン教会で持ちました。彼は、その絵とマッチする歌を作っていました。その絵を披露したとき、彼はオルガンを弾いてくれました。イザヤ書から歌詞に引用した「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」と言われたイエスの言葉を歌った時、泣き出しました。彼は歌って、歌って、泣いて泣いて全身を震わせていました。教会には涙しない人は一人もいませんでした。彼の声は真心をこめた何とも言えない美しい声でした。

今、そのオリジナルの絵は、メリーランドのシルバースプリングにある新しいSDA本部の壁に掛けられていて、いろいろなポスターや、聖書研究の絵などと一緒にあります。私は、ラビ・コーガンとエレン・ホワイトなしには決して成し遂げることはできませんでした。あの家族がまだ生きていることを願うものです。

我々は、1979年12月22日、土曜日の夜にサクラメントのベーア川で秘密裏に行われた彼のバプテスマ式に居合わせました。我々4人がいました。彼は自分がクリスチャンになったことをその妻、息子にも知らせることはできませんでした。冷たい水から上がってきたとき、神を賛美し、新しいメシアを歌い、「私は今完全なユダヤ人だ。私は今は、旧約、新約聖書のすべてのユダヤ人の預言者が言っていたメシアを受け入れた」と言いました。

最近私は、美術に関する講習会があり、また、中東の考古学の仕事でヨーロッパにいました。ちょうどその時、イスラエルから来たユダヤ人の家族に出会いました。シャローム・デイビッドは、もともとイラクから来ていて、彼の妻はチリ人でした。彼らは、ヨーロッパの大学に通っていました。ヨーロッパでは、エレン・ホワイトの書物にかなりの反対がありました。このユダヤ人の家族は、私をシャバット=安息日(金曜日の夕食)に招いてくれました。彼の妻と子供たちが、安息日を迎えるにあたって、ユダヤ人が何千年もやってきた賛美を聞かされた時は最も楽しいひと時でした。私は、ラビ、カーガンのことを彼らに話しました。彼はとても興奮しました。彼は「同じことが私にも起こりました。私は新約聖書を焼いて触りたくもありませんでした! 私はキリスト教にいっさい関わりたくありませんでした。しかし、私もエレン・ホワイトの書物を読んでみました。そして神の霊がその婦人にあることを知りました! 彼女の書物は、まるでヘブル語で書かれたように思えるのです。ヘブル語のリズム、節、表現があるのです。私も彼女の霊感は、ヘブルの預言者たちと同じ源だと信じます。私の心は、彼女によってメシアなる、イエス・キリストに魅了されました」。

そして私は、昨日カリフォルニアに住んでいるラビに会いました。ラビ・ベンです。その日は、アドベンチストのグループと一緒に食事に招かれた最後の安息日でした。彼は、ちょうどラビ・カーガンのように、また、私のヨーロッパの新しい友人(シャローム・デイビッド)のように食事の儀式をしました。そこで、ヘブルの儀式について、それらはいかに病気の癒しに今も有効であるかについて語っていました。

ラビ・ベンもまた同じ経験を私に語ってくれました。彼は新約聖書を嫌悪していましたが、エレン・ホワイトが彼をキリストに導いたこと、新約聖書を読むことになり、メシアと恋に陥ったいきさつを話してくれました。彼もまた同じように、私に彼が匿名のままでいなくてはならない90代の、アメリカで最も影響力を持ったラビの1人を訪ねてきたと言いました。そのラビの図書室で、彼が多くの書物を見て回っているとき、エレン・ホワイトの「人類のあけぼの」を見ました。ラビ・ベンは彼に聞きました。「どこでそれを手に入れたのですか、どうしてあなたはクリスチャンの著者によるこの本を持っているのですか?」ラビは答えて「これは我々の歴史のまさに権威的な源である」と言いました。

私は、ニューヨークの3ABNのTVプログラムでこの証をしました。それ以来、私の電話は夜も昼も鳴りっぱなしで、遠くはインド、オーストリアから来て「私たちはもっと、ラビ、ジョー・カーガンとエレン・ホワイトについて知りたい」とのことでした。

Source:http://www.presentruth.com/2009/11/who-is-this-ellen-white-a-jewish-rabbi-asks/


体験の証_金城めぐみ

2017年1月15日 icon_002200_16.png金城 めぐみ
めぐみと命名されて
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弱いところに

2016年7月26日 icon_002200_16.png松田 幸保
弱いところに
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【弱いところに】
朝日が産まれて1年がたちました。この1年、神様の恵みとあわれみ、そして皆さんの祈りと優しさにどれほど支えられ、助けられたかわかりません。いつも本当にありがとうございます。

朝日が与えられるのをずっと待っていた数年間、神様の約束は「あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。」というイザヤ60:2の御言葉でした。いつも夜明けの美しい空を見ながら、いつか神様が必ず約束を成就して下さると信じ、待ち望んでいたので、生まれてきた時は本当に感謝と喜びでいっぱいでした。神様の栄光があらわされますようにと祈りつつ証しさせて頂きます。

今日は、神様がある経験を通して私にどうしても学んでほしいと思っておられた事を、お話したいと思います。

朝日が4,5カ月くらいの頃から、顔や手足に湿疹が出るようになりました。はじめは、「よだれかぶれかなぁ」と思っていましたが、なかなか良くならず、ついには顔が真っ赤になってしまいました。やっぱりアトピーなのかなぁと思ったりもしていました。「母親の食べる物で、母乳を通してアレルギー反応を起こしているかもしれないから、何かあやしいと思う物をやめてみたら?」と、増田ゆかりさんからアドバイスを受け、まずは私が小麦を食べるのを止めました。また、テルミーをしたり、軟膏を塗ったりあれこれ試してみました。いろんな方が祈って下さり、しばらくすると、ほっぺたの赤みが取れて、良くなりました。神様の恵みにとても感謝しました。

それでも、やはり体や顔のあちらこちらに湿疹がでて、赤くなったりまた引いたりを繰り返していました。私の心は、朝日の皮膚の状態で一喜一憂する日々でした。クリスマスの頃でしたが、ちょうど気持ちが落ち込んでいた時、夜寝る前に布団の中で、空輝がイエス様の誕生物語の歌を、ずっと歌ってくれました。その中に、マリアが御告げを受けた時に、御使いが語る言葉がありました。「♪神様にとって不可能な事は一つも一つもありません♪」。それを聴きながら、「そうだよねー神様にとって不可能なことは一つもないんだよねー。朝の湿疹もきっと治してくださるよね」と、すごく励まされました。

5月の始め頃、梅雨入り前の時期でしたが、湿気と暑さのせいで、今度はあせもから、また首や頭や顔が真っ赤になってしまいました。色々やってみましたが、ひどくなる一方で、「どうしてかな?私が食べる物で反応しているのかな?小麦以外にもあるのかな?あれかな?これかな?」とあれこれ考えて、自分がよく食べる物を一つずつ止めてみて様子を見ていました。だんだんそれもしんどくなってきて、主人に「なんで良くならないんだろう?私が悪いのかなあ?」と悩みつつ訴えると、「大丈夫!そのうち良くなるんでしょ!たかきもそうだったじゃん!」との返事が返ってきました。そして、息子と2人で「♪時が来れば治ります。時が来れば治ります。あれこれあれこれ考える。でも時が来れば治ります♪」と楽しそうに自作の歌を歌ってくれました。とにかく2人はめっぽう明るいんです。はぁーとため息をついて悩んでるのは私だけ。主人と息子は、毎日「朝日の皮膚が治りますこと、感謝します。」と祈りつつ、あまり気にせず生きてます。うらやましい限りでした。

ある晩、夜中にまたかゆがってむずがる朝日と二人、外に出ました。空を見上げると、満点の星が輝いていました。朝日も泣きやんで、空をじっと見つめていました。「あさー、星がきれいだねぇ。きらきら輝いてるねぇ。」と話しながら、心の中で「神様、朝日を癒してください。私を助けて下さい。」と必死に祈ってました。その時、神様はこのように語られました。「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。「あぁ、そうなんだ、弱いところにこそ、神様の力があらわれるんだ、しかも完全にあらわれるんだ。朝日は完全に癒されるんだ」。御言葉の約束に慰めと励ましを受け、家の中に入って、もう一度この御言葉を心の中で繰り返しました。コリント第二12:9,10「『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。』それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。…なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」。この御言葉こそが、神様から与えられた約束でした。

一方、皮膚はどんどんひどくなってきたので、一度小児科でアレルギーの血液検査を受けて、何が原因かをはっきりしてみようと、5月12日に受診しました。先生は、「まだ小さくて血管が細いから、もしかしたら血液が取れないかもしれません…」とおっしゃいましたが、折角来たのでやっていただく事にしました。針を刺されてわんわん泣き叫ぶ朝日の声を聞きながら、「みこころなら、この検査を受けさせて下さい。」と祈っていました。でも、結局その日は血液が取れず、泣いて終わってしまいました。がっくりして家に帰り、「せっかく行ったのにどうして受けられなかったのかな?」と主人に言うと、彼は「きっと神様の守りなんだと思うよ。人間的には、検査した方がいいように思うけどね。神様には別のご計画があるのかもしれない。何かは分かんないけど。」と答えました。私には、もう訳が分からず、ただただ「神様助けて下さい」とだけ祈りました。

その二日後の土曜日、ちょうどセミナーの時でした。朝起きて、みんなで教会へ行く準備をしていましたが、朝日の皮膚があまりにひどいので、とうとう私は「もう、今日は教会休みたい。朝日を連れて行きたくない。」と泣き出してしまいました。そばで聞いてた空輝が、すかさず「ママ、教会は行った方がいいよ。行ったら祝福があるよ。あーさーの皮膚も良くなるはずよ!」と、大きな声で励ましてくれました。行きたくない気持ちでいっぱいでしたが、お尻をたたかれ、何とか教会に来ることが出来ました。チョウさんの証や金城先生のお説教を聞いて、だんだん心が穏やかになっていきました。

昼食の時に、友人の蒲島周子さんがそばに来てくれて、ずっと話を聞いてくれました。色々励ましてくれて、「さっちゃん、大丈夫!あさちゃんの皮膚はさっちゃんのせいでこうなってるんじゃないよ。みんなそれぞれあるけど、きっと、さっちゃんに与えられた神様からの課題があるんじゃないかな?何かを教えようとされているんだと思うよ」と言ってくれました。家に帰ってから、「何だろう?神様は私に何を気付いてほしいんだろう?」と、祈りつつずっと考えていました。そして、ふと心に思い浮かんだのは、「私は自分の功績に頼っている」ということでした。♪つゆだにいさおのあらぬみをも♪と讃美歌で歌っていたのに、自分の方法で何とか問題を解決しようとしていました。「早く良くしてあげなきゃ、頑張らなくちゃ」と必死になってしまう分、うまくいかないと、「なんでー、こんなにも頑張ってるのに」と悩む。自分はこんなに一生懸命やってるんだから…と見返りを期待する分、家族に対して怒ったり、不満な気持ちが出てきてしまう。朝日の皮膚は、その一面で、恥ずかしながら万事につけ、自分はそういう人間だということが分かりました。

母が前回肺炎で入院した時も、私の口から出たのは「あー可哀想な事しちゃった。無理させたのかなぁ?もっと気をつけてあげればよかった…」というマイナスな言葉。これをそばで聞いていた空輝が、すかさず「ママだけだよ。そういうふうに言うのは。いつもママだけが悪い事を言うんだよ。ばあちゃんの事は、イエス様にお祈りしたから大丈夫でしょ!」と、この時も大きな声で励ましてくれました。この時の事も思い出し、私はいつも自分の力や功績、方法に頼っていて、本当の意味で神様に信頼して、問題をゆだねていなかったということが分かりました。朝日は神様に捧げたはずなのに、自分に取り戻して奮闘し、皮膚の状態を見ては一喜一憂していたのです。まさに朝日の皮膚は、パイナップルストーリーのパイナップル畑のようでした。

そこで、ひざまずいて神様に悔い改めの祈りをしました。「神様、本当にごめんなさい。私は、キリストの功績ではなく、自分の功績に頼り、自分の方法で問題を解決しようとしていました。朝日の皮膚はあなたの領域です。どうぞあなたの方法であなたが管理してください。今まで、何かにつけ、クリスチャンとは名ばかりで、私自身に頼っていた罪深いこのしもべをお許しください」。そう祈っていると、今度は「こんな私に、こんなにも大切な神様の子供を預けて下さった。」という神様の憐れみに対する感謝の気持ちが溢れてきて、「ありがとうございます。」と祈りながら涙が出ました。心は軽くなり、平安が訪れました。

それからというもの、神様の支配下に入った朝日の皮膚はだんだん良くなってきて、赤くなったり引いたりを繰り返しながらも、少しずつ海の潮が引くように綺麗になってきました。赤くなっているのを見て、心が乱れそうになると、「朝日の皮膚は神様の領域です。あなたが管理して下さっています事を感謝します。」と祈ると、心は不思議と平安になるのです。だからといって、ほっておいているのではなく、なすべき事は続けてしていますが、神様に朝日の皮膚を管理する権利を明け渡してからは、悩まなくなりました。

実物教訓44
「わたしたちは、自分の本分を尽くして、結果は神にゆだねればよいのである。」

祝福の山124
「わたしたちが、自分の関係していることを自分で処理し、自分の知恵だけで成功させようとすることは、神から与えられていない重荷を引き受けて、神の助けなしにそれをになおうとしているのである。…神はわたしたちを愛して、恵みを施そうとしておられることをほんとうに信じるとき、わたしたちは将来のことを心配しなくなる。わたしたちは、ちょうど子供が愛情深い親を信頼するように、神を信頼する。そのとき、わたしたちの意志は神の意志に没入して、悩み苦しみは消えてゆくのである。」

「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」という御言葉の約束の通り、日々神様は朝日の皮膚という弱いところに力をあらわして下さっています。皆さん、気にかけてお祈りして下さりありがとうございます。やがて完全に良くなる事と思いますが、実は、この「弱いところ」というのは、本当は別のところにありました。私は、朝日の皮膚のために与えられた約束だと思っていましたが、一番の弱さは私の心の内にありました。自分の力で何とか問題を解決しようとする自己に頼る精神、ここがまさに私の弱さでした。神様は、この部分を癒したいがために、目に見える朝日の皮膚を通して、目に見えない私の心の内にある病んだところを癒そうとしてくださっていたのです。それに気付かせるために、何度も何度も様々な経験を通して教えて下さったのだということが分かりました。神様のあわれみです。以前、サンライズに来てすぐの頃、金城先生に完全な品性について質問した時に、このような答えが返ってきました。「144,000が持っている完全な品性はね、自分は無、何も良い所がない、だから完全にキリストに頼るということなんだよ」。私は、完全な人とは、きれいぴかぴか何でもできるすごい人たちだと思っていましたが、先生の答えは、違っていました。それをまた思い出しました。

もうすぐイエス様が迎えに来てくださる今、自分に頼らず、日常のあらゆることに関して、神様に信頼して完全に頼り、イエス様のように「わたしは自分からは何事もすることができない」と言って、日々神様の御心に従うことを、神様は求めておられます。この事に気付いた時、朝日の皮膚だけでなく、生活のあらゆる面において、心の内に悩んでいた一つ一つの事を神様の領域にお渡しして、神様に管理して頂く事にしました。時間に追われて、時間がないよーと思っていた時に、まず自分の時間を神様に捧げ、神様の管理下において頂くと、その日は何だかスムーズに事が運び、思ったよりやるべき事が進むことがよくあります。子供や主人、家族も、家計も、その日の計画も、全部神様の支配下・管理下において頂いて、人間の弱さにキリストの力が宿り、栄光があらわされますようにと祈る日々です。最後にみ言葉の約束をお読みします。ペテロ第一5:10 「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。」神様の恵みに心から感謝します。

関連書籍:
「あなたは幸せである」松田幸保


「第二次世界大戦の思い出~村長の警告に耳を傾けて」

2016年6月26日 icon_002200_16.png金城 めぐみ
「第二次世界大戦の思い出~村長の警告に耳を傾けて」
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足跡(あしあと)/JESUS CARRIED YOU.

2016年4月17日
足跡(あしあと)/JESUS CARRIED YOU.
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≪この詩の背景≫

この詩を生んだのは、神を信頼する心でした。父親に虐待された過去と殺人の前科を持つ男性と、育ちの良い女性が結婚を決意するまでにあった戸惑いの心は、神への信頼によって平安へと導かれたのでした。その信頼の中から、この詩は生まれました。

ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主と共に、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人分の足跡が残されていた。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。これまでの人生の最後の光景が映し出された時、わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。

わたしが人生で一番つらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。

『主よ。わたしがあなたに従うと決心した時、あなたは、全ての道で、わたしと共に歩み、わたしと語り合って下さると約束されました。

それなのに、わたしの人生の一番つらい時、一人分の足跡しかなかったのは何故ですか。一番あなたを必要としていた時に、あなたが、何故、わたしを捨てられたのか、わたしには分かりません。』

主はささやかれた。『わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に、足跡が一つだったのは、わたしがあなたを背負っていたからだ。』

◆配布用パンフレットは、こちら


広島の奇跡

2015年7月7日
広島の奇跡
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【広島の奇跡~原子爆弾より救われる~】
~アドベンチストワールド誌 2011年8月号
広島の奇跡(DAS WUNDER VON HIROSHIMA….ドイツ語版より抜粋)~

1945年8月6日、世界で初めての原子爆弾が第2次世界大戦時に日本の港町広島に投下され、想像もつかない破壊をもたらし約20万人の命が亡くなった。
この恐怖の出来事の66年後に、私達は広島セブンスデー・アドベンチストについて驚くべき話を聞いた。全てのアドベンチストが原爆投下後、助かったというのである…。

古中あさ子は商売で成功した人の娘として1921年8月12日に生まれた。
彼女は大変知的で活動的な女性で学校卒業後、夜間学校の教師となった。32歳でその頃女性としては珍しい新聞記者となり、大学教授と結婚した。子供は無かったが大変幸福な結婚生活であった。

ところが50年代の初期 恋人があり離婚したいという夫の言葉に彼女の全人生が大きく揺れた。迷いと怒りに襲われ、日夜深い悲しみと夫に対する憎しみに明け暮れた。もはや誰をも信じることが出来ず深いうつ病に陥った。
彼女の人生で最悪の状態に陥った時に、アドベンチストの一人が教会にさそった。まもなく彼女は規則的に教会を訪れ説教を聴くようになり、人を許すことと人生の希望を聖書に見出し心に平安が戻った。
しかしバプテスマを受けるにはまだ決心がつかなかった。

信じられない話
彼女の能力と豊かな教育知識はまもなく見いだされ、教会で土曜日の子供の時間を手助けする役を頼まれた。彼女は喜んで子供たちに聖書の物語を聞かせるようになった。

ある日のことテーマは[3人の友達とダニエル]で熱い炉の中に入れられたにもかかわらず神に守られ無事であった話を真剣な気持ちで語ったが終わると小さな男の子が「僕はそんなことは信じない!」と言う。即座に小さな女の子が「私は信じるよ、おばあちゃんが広島に原子爆弾が落ちた時に広島アドベンチスト教会の人は一人も死なずに助かったといつも、いつも話してくれたもの」と答えた。

あさ子がこれを聞いた時には、この話を子供たちに話しはしたものの自分では聖書のこの話は信じていなかった。そして彼女はこの小さい女の子の言ったことも信じなかった。

だが同時に彼女の頭に浮かんだことは、私は新聞記者ではないか、この女の子が話したことが真実であるかどうか調べ追究するべきではないだろうか?こうして広島に爆弾が投下された当時の全教会員を探すことが始まった。

原爆

宿命の日
1945年8月6日の朝、世界で初めての原子爆弾が投下された時その投下位置から2km以内は完全に破壊された。爆弾の投下した土地の温度は6000度で4km以内の人は焼け死んだ。風速260kmの熱風が同時に起きコンクリートの建物さえも一瞬に倒し、割れたガラスが四方16kmまで吹き飛んだ。爆弾の発光は巨大で、被爆者は体の全組織細胞が自滅する状態を起こした(アポプトーゼ)。
投下爆発と同時に町全体が炎に包まれ、放射電光による燃焼によって20万人の広島住民は亡くなった。

たった一人のアドベンチストも傷つきさえもしなかった
このような猛烈な想像もつかない破壊のただ中にあって、たった一人のアドベンチストさえ、死なず傷つきもしなかったということは本当だろうか?

一人の教会員は今も投下中心地に住んでいる。

あさ子がかつての教会員で現在生きている人達を一人一人探し訪ね始めた時には、そんなことは在りえないという疑惑を持ち、このことを信じてはいなかったが、実際に教会員の一人も傷もおわず生きていることが証明された時、あの小さな女の子が正しかったことを知った。

突然台風のような突風に襲われ恐ろしさのために膝をつき祈りをしたと言う一人のアドベンチスト女性、戒能ひろ子さんに汽車の中でインタビューをした。

彼女の家のガラスは四方八方に飛び散ったにもかかわらず、彼女は一つの傷も負わなかった。その他の広島アドベンチスト20人も傷つかず死をまぬがれた。

6人の人は高齢のために亡くなっており、他の人は現在も元気で活躍している。
桑本イワさんは現在83歳で今でも家で、また電話や手紙などを通して福音を伝えている。当時彼女は原爆投下地点より1km離れているところにいた。

崩れた建物の下にもぐり込み、その隙間から太陽を覆い隠し暗くなり真っ黒な帯が地を覆う巨大なきのこ雲を見た。彼女は信仰を持っていない夫を崩れたがれきの下から引っ張り出そうと試みたが、燃え盛る炎がそれを妨害した。

いわさんは泣きながら夫の手を引っ張り「まもなく火にまかれる、私はこれ以上どうすることも出来ない、ここでいっしょに死にましょう。神様は全てをご存知です。お願いだからイエス・キリストさまを信じて頂戴、私はあなたを助けることは出来ないから」。夫は「いや私はここで死ぬが、しかしお前はどこか安全な場所に逃げて子供たちを見つけなければならない!子供たちのために…」

彼女はまた言った「この火から絶対に逃げられない、私も貴方といっしょに死にます」しかし夫は聞き入れず「私の心配はしなくていいから…私は自分の母やお前の神に対する信仰に長いこと反対し神を信じようとしなかったが、たった今私は神が私達が再び会うことが出来るようにしてくださる事を信じる。お願いだから行って子供たちを捜してくれ!」彼女は熱い涙と胸が張り裂けるほどの思いで夫を後にした。途中体に水をかけて濡らしながら火の中から逃れた。その後子供たちをも見つけた。

木原富子さんは付属病院の女医だった。彼女は夜勤の後午前2時に帰宅し、原爆投下された時は眠っていた。投下地からはわずか1kmの距離もない所に住んでいたにもかかわらず、破壊にも遇わずそして怪我もしなかった。

爆発の驚きで何ごとかと外に飛び出して見ると、ただ真っ黒にこげた土だけを見た。ただならぬ状態を感じ取ると町の反対側のはずれにある病院に連絡を取り、助かったわずかの医師と共に昼も夜も休みなく何週間もの間被爆者を治療した。この悲劇は何ヶ月もの間続き彼女は力の限りを尽くして被爆者に献身した。彼女は多くの人々の光だったに違いない。

あさ子は信仰を見つける
あさ子はこれらの人達の体験を聞くことにより、神の力の存在を確信しバプテスマを受けた。主の御言葉に従い、主のまことを人々に語り伝えるために58歳で日本三育学院大学で神学を学び始めた。卒業後柏アドベンチスト教会の牧師となり、その後木更津アドベンチスト教会の聖書解釈の仕事に従事する。退職後も引き続き他の福音伝道者と共に活発な伝道をしている。
そしてまもなく90歳を迎えようとする現在、健康でこう語る。

「私はお互いに支えあう家族はいませんが、神が私を愛して下さっていることを知っておりますから大変満足しています」


お便りのご紹介

2015年6月30日
お便りのご紹介
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先日サンライズミニストリーに届いたお手紙による証を匿名にてご紹介させていただきます。
主の御名を心から賛美いたします。

ご返事する事が遅くなり申し訳ありません。そして、本当に嬉しく、本を読んでからお手紙をと思い、遅くなってしまいました。「キリストへの道」も「贖いの歴史」も読みました。「各時代の大争闘」は、家でも通勤の途中でも仕事の合間でも時間のある時に読んでいます。かみしめる様にゆっくりと読んでいます。祈りながら読んでいます。「贖いの歴史」を読んでいて、イエス様の愛の大きさに感謝の涙があふれてきました。涙が止まりませんでした。今まで、イエス様が私たちを愛するゆえに、十字架にかかって下さった事を、わかっていたつもりでしたが、どこかはっきりしていなかったのかもしれません。でも、この本を読むことによりどれほどの想いで十字架の道を選ばれたのか、涙が自然にあふれてきました。

礼拝のメッセージも何か信仰のパイプがすっきり通ったようにつながりました。「各時代の大争闘」では、ヒエロニムスが弱さから、迫り来る死を免れようとした事により、悔い改め、フス同様火刑に処せられながら、御父に祈る姿に涙があふれ、私自身の弱さと重なり涙ながらに祈っていました。

私は昨年からのサンライズミニストリー様のメッセージにより、聖霊運動によるアメリカでの多くの働き人の事や、欺瞞にショックで、自分が信じて同じようにしてきたことは何だったんだろう?私も異端だったのか?と頭の中がパニックになっていました。

私は今まで、ある聖書学校の通信(2年コース)を2年ほど前に終えていて、その学校の学びの教えの中心はケネス・ヘーゲンから来ていました。癒し、悪霊解放、セミナーに出席したり、聖書のみ言葉から学んでいました。私の今までの本棚の本はベニー・ヒン、ケネス・ヘーゲン、キャサリン・クールマン、チョー・ヨンギなど、そのような本が本棚いっぱいだったからです。今までは気付きませんでしたが、ネットでの映像を見て、聖霊の働きでないとはっきり分かりました。

私は今まで何を考えていたんだろう?友人にも同様の本をプレゼントしたりして、すぐ友人に連絡し、サンライズミニストリー様のネットを紹介し、映像を見てもらい、あやまりました。

今、思えば聖書学校では、ケネス・ヘーゲンのような聖書学校を目指しているという感じで、経済的な祝福を模範にしている傾向があり、どこか気付かないうちに世と妥協した教えになっていたと思います。カウンセリングも学びましたが、一般の方にクリスチャンカウンセラーがカウンセリングを行う際、絶対に信仰の話はしてはいけないルールがあり…正直違和感を感じて私はそんな器用なことはできないと思っていました。カウンセリングというこの世の仕事が中心なのか…私はイエス様を通しその方が癒されていくと思っているので、カウンセリングからは遠のいていました。

それから、ケネス・ヘーゲンの語ったこととして、聖書は聖霊に満たされた人は、新約の書簡だけを、本当は読むだけでよいと話していました。その時はそのまま聞いていましたが、今は本当に欺きであるとわかります。なぜ気付かなかったんだろうと思います。

ケネス・ヘーゲンに共感する内に、気付かぬうちに惑わされてしまったのかと思いました。「贖いの歴史」を読んで本当に聖書の学びが楽しくなりました。主は、迷いの中にあったわたしの祈りを聞いて下さいました。

どうして良いかわからなかった私に、サンライズミニストリー様から大切な数冊の貴重なE・G・ホワイトの本をプレセントしていただきました。本当にサンライズミニストリー様に感謝します。本は無料との事でしたが、申し訳なく思いつつ感謝します。せめて献金を捧げたいと思います。わずかですが受け取っていただけたら幸いです。これからも学びを続けながら、真理を求め、この時代がどうあろうと、主に従い、主の為に生きたいと思っています。

これからもメッセージを楽しみにしております。素晴らしい主の恵みがあります様、心より祈っています。本当に、本当に、ありがとうございました。イエス・キリストの御名により感謝し祈ります。アーメン。


新しい命に生きる

2015年6月29日 icon_002200_16.png松田 幸保
新しい命に生きる
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【新しい命に生きる】
新緑の美しい季節になりました。今日も、教会に向かう車の中から、木々が明るい緑の葉におおわれ、森が輝いているのが見え、とても嬉しい気持ちになり、神様に感謝しました。

この新緑の季節に、いつも思い出す経験があります。ちょうど、今から14年前になりますが、2001年の春、私はカナダのブリティッシュコロンビア州のケロウナ地方、森と湖の美しい町に滞在していました。女性の医事伝道者の方と一緒に、ある末期がんの方の所に訪問していたのです。彼女は、エドモンさんという50代の女性で、旦那さんと、高校生と大学生の娘さんとの4人家族でした。そして、長年のSDAの信者さんでした。ずっと自宅で療養していましたが、家庭の事情により、お友達の家に移り、そこで訪問看護によるホスピスケアを受けていました。以前にも、何度か彼女の家を訪れ、ケアをした事がありましたが、この時が最後の訪問となりました。

数日間の滞在の中で、私が夜間付き添っていたある晩、彼女はちっとも落ち着かず、何度も私を呼んでは、「さち、足をマッサージしてちょうだい」「水が飲みたい」と言ったり、「祈ってちょうだい」「賛美歌を歌ってちょうだい」と必死で願います。私は、覚えていた暗唱聖句の歌を一生懸命、彼女のベッドサイドで歌いました。

「神よ、わたしの叫びを聞いてください。わたしの祈に耳を傾けてください。わが心のくずおれるとき、わたしは地のはてからあなたに呼ばわります。わたしを導いて/わたしの及びがたいほどの高い岩に/のぼらせてください。あなたはわたしの避け所、敵に対する堅固なやぐらです。わたしをとこしえにあなたの幕屋に住まわせ、あなたの翼の陰にのがれさせてください。」(詩篇61:1~4)

「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。」(詩篇51:10~12)

祈ったり、暗唱聖句の歌を歌ったりしながら、足をマッサージすると彼女は落ち着いて、しばらく眠りますが、またすぐに私を呼びます。私もその晩は眠れませんでした。そして、彼女が電動ベッドを上げたり下げたりしながら、また落ち着かなくなって、私を呼び、こう言いました。「さち、苦しい、助けてほしい。今、私は霊的な戦いの中にいるの。今までたくさんの罪を犯してきて、まだ死ぬ準備ができてない。神様との間に平安が欲しいの。御言葉を読んでちょうだい!」。彼女の魂の叫びでした。私は、このように死を目前にして、霊的戦いの中にいる人に遭ったのが、実はこの時が初めてで、いったいどうしたらいいのか全く分からず、はっきり言って途方にくれてしまいました。今なら、霊の戦いの祈りや、このような時の約束の御言葉が思い浮かびますが、この時は頭の中が真っ白で、ある意味恐怖に似た気持ちもあり、神様に私も心の中で叫びました。「神様、助けて下さい。どうしたらよいか分かりません!ちょうどいい御言葉を与えてください!」。

祈ってから、聖書を開くと次の御言葉が目に飛び込んできたので、つたない英語で必死に読みました。

「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)。

「あちゃー、しまったー!」と思いました。見ると、彼女はますます苦しそうな表情をしています。「罪の重荷に苦しむ人に、なんでこの聖句を読んでしまったんだろう」と後悔しました。でも、続けてさらに同じ聖句を読むと、「しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」と、書かれていました。彼女は、大きな声で「アーメン!」と言い、ほっとした表情になりました。病気はもちろんのこと、未信者の夫や、思春期の娘との争いが絶えず、家族関係で悩み、色々なつらい思いをしていた彼女にとって、死を迎える前に、どんなケアよりも、神様との和解、平和が本当に必要だったのだと思います。その後、彼女はしばらく眠ることができました。

次の日、一緒に訪問していた、医事伝道者の方(私の師匠のような人)が、彼女とじっくり話し、共に祈り、彼女は死を迎える準備ができたようでした。あんなにも、落ち着かず苦しそうだった彼女の顔は、すっかり変わり、平安そのもので、私たちは、死を目前にして新しく生れ変った人を目の当たりにしました。いよいよ帰る日になり、笑顔で送り出してくれた彼女を後にして、私たちはまた大きなバンに乗って旅を続けました。

帰る道すがら、ケロウナの森は新緑で輝いていました。まさしく、新しい命が息吹き、全てが明るく美しく輝いていて、神様の命を与える御業に感動しながら、窓の外を眺めていました。死を目前にして、新しく生れ変った彼女の事を考えながら、自然界の新しい命を見ていると、涙があとからあとから、流れてきました。私たちが帰ってから、二日後に彼女が平安の内に眠りについたことを聞きました。

「神のみたまが心を占領される時、それは生活を生れ変らせる。…喜びが悲しみに入れ代り、顔には天の光が反映する。…祝福は、信仰によって魂が神に屈服するときに与えられる。その時、人間の目では見ることのできない力が、神のかたちにかたどって新しい人間を創造する。」(希望上203)

あの日、彼女の顔が全く変わったのは、まさしく、神様の創造の御業でした。私たちも、神様の恵みによって日々新たに生れ変る経験にあずかりたいと思います。今日は特に、洗足聖餐式なので、今までの罪を洗い流していただき、新しい心を頂きたいと思います。最後に御言葉の約束を読んで終わります。

「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」。(コリント第二4:16)

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