悔い改めと信仰によって

2018年4月14日 icon_002200_16.pngTag: 金城 重博

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*霊感の言葉*

1SM 365
罪人は間違うことがあるかもしれないが、彼は憐れみもなく投げ捨てられるのではない。しかし、彼の唯一の希望神に対して悔い改め、イエス・キリストを信じることにある。キリストがご自分で責めを負い、我々の罪を許し、ご自分の義を与えて下さるので、我々の不法と罪をお許しになるのは父の特権である。キリストの犠牲は、正義の要求を完全に満たしている。

信仰による義78
新しく改心した魂は、しばしば培われた習慣やある種の特別な誘惑との激し戦いに遭遇し、肉の欲や傾向に破れ、軽率な、また実際のあやまちを犯して有罪とされることがある。信仰に浅く未熟な者は、大きなさまざまな弱さに直面し、耐えねばならぬことをよきせねばならない。

霊感の筆は、ノア、ロト、モーセ、アブラハム、ソロモンを倒した罪、また強い信仰を持ったエリヤさえも恐るべき試練の間、同様に沈んだことを忠実に記録している。ヨナの不服従、イスラエルの偶像礼拝もそのまま記録されている。ペテロがキリストを否定したこと、パウロとバルナバの激しい争い、預言者や使徒たちの失敗や欠点はすべて、人の心からおおいを除く聖霊によってすべて明らかにされている。われわれの前には信仰者たちの欠陥や罪ある生涯がおかれているが、それらは後の時代の全ての者への教訓として書かれた。もしも彼らが欠点のない者であったならば、彼らは人間以上であり、罪深いわれわれは彼らのすぐれた高さに達しえないと絶望するであろう。しかし、彼らが戦って破れ、神の恵みにより新たに決心して勝利したことを視るとき、われわれは励まされ、前途におかれている性質を汚す障害を越えてゆくように導かれるであろう。

キリストへの道84-85
世にはキリストのゆるしの愛を知り、ほんとうに神の子になりたいと望んでいながら、自分の性格が不完全で、生活にはあやまちが多いために、いったい自分の心が聖霊によって新たにされたかどうかと疑う人があります。こうした場合に決して失望、落胆してはなりません。私どもは幾たびとなく、欠点やあやまちを悔いて、イエスの足もとに泣き伏すことでしょう。けれども、そのために失望してはなりません。たとえ敵に敗れても、神に捨てられ、拒まれたのではありません。いいえ、キリストは神の右に座して私どものために執り成しをしていたまいます。使徒ヨハネは「わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を 犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちの ために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる」(ヨハネ第一・2:1)と申しました。


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