あなたは何を食べますか?

2015年12月5日 icon_002200_16.pngTag: 池宮城 義浩


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キリストへの道112,113

神のみ言葉を心に満たしましょう。神のみ言葉こそはかわきをいやす生ける水であります。また、天よりの生けるパンであります。イエスも「人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ6:53)と仰せになりました。そして、それを御自ら説明して「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」(ヨハネ6:63)と仰せたもうたのであります。私どものからだは、私どもが飲み食いする物から成り立っています。霊界においても自然界と同じであって、私どもの考える事柄が私どもの霊性に力と健康を与えるのであります。

MS 33, 1911年

キリストは、誰もつまずく必要がないように、み言葉の意味を明白に説明された。人の子の肉を食べ、またその血を飲む事について述べられているこの聖句は、霊的観念をもって解釈されるべきである。我々が信仰によって、キリストを救い主としてとらえる時、我々は彼の肉を食べ、その血を飲むのである。

キリストと栄光を共にするすべての者が持たねばならない彼との密接な関係をお示しになるために、キリストは飲食の象徴を用いられた。我々が食べる食物は体内に吸収され、力と健康を与える。同様に、我々が主イエスのみ言葉を受け、信じるとき、それは我々の霊的生活の一部となり、光と平和、そして希望と喜びとをもたらし、食物が体を力づけるように、魂を力づけるのである。

MS 81, 1906年

「『わたしが命のパン』、すなわち永遠の霊的生命の創始者、維持者である。」ヨハネ6章35節で、キリストはご自身を天のパンにたとえておられる。キリストの肉を食し、その血を飲むことは、天から遣わされた教師として彼を受け入れることである。キリストを信じることは、霊的生命において必要不可欠である。み言葉を満喫する者は、飢えることも渇くこともなく、それ以上に高尚で善きものはないだろうかとむなしい望みを抱くことはなくなる。

Letter 64, 1900年

み言葉を知り、敬うだけでは充分ではない。我々はそれを理解し、熱心に研究し、神のみ子の肉を食べ、その血を飲まなければならない。クリスチャンがこれをどの程度行っているかは、その霊的品性の健全さの中に現れる。…我々は日常生活において、我々の兄弟たちと世に対し、キリストの柔和と謙遜さとを表し、それによってキリストに栄光を帰し、み言葉の解き明かしをする生きた証人とならなければならない。キリストの教えは、我々にとって、命の木の葉のようでなければならない。生命のパンを食し、消化するとき、我々は均整のとれた品性を表すであろう。互いの一致により、また、自分よりも他の人々を高める事によって、我々は世に対し、真理の力の生きた証となるのである。…

人が命のパンを食べ、救いの水を飲み、神に完全に服従するとき、彼らはキリストの内に成長する。彼らの品性は、知性が何を食べ、何を飲んでいるかによって形成される。み言葉を受け入れ、従う事によって、彼らは神の性質にあずかる者となるのである。こうして彼らのすべての働きは神を表し、人ではなく、キリストが高められるのである。


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