永遠の命に入るために何をすべきか

2019年5月18日 icon_002200_16.pngTag: 大城 築


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*霊感の言葉*

ヨハネによる福音書 3章16節、17節
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」

ミニストリー・オブ・ヒーリング 399
十字架の栄光 ―― 人類に対する神の愛の黙示は、十字架に集中されている。その完全な意義は、言葉で表現することも筆で描写することも頭脳で理解することもできない。カルバリーの十字架をながめ、わたしたちはただ、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛してくださった。それはみ子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とだけ言えるのである。

キリストはわたしたちの罪のために十字架にかかり、死からよみがえり、昇天なさったことが、わたしたちが学び、また、教えねばならない救いの科学である。

キリストの実物教訓 83~84
天来の教師の知恵よりも、人間の知恵のほうがすぐれたものであると思っているものが多い。また、神の教科書は、時代おくれで、古くさく、興味がないもののようにみなされている。しかし、聖霊によって命を与えられた者は、そうは思わない。彼らは、貴重な宝を見つけて、自分の持ち物を全部売り払って、宝の隠されている畑を買うのである。彼らは、世の著名な筆者の論説を記した書物の代わりに、世界最高の著者であり、最も偉大な教師であるイエスの言葉を選ぶのである。イエスは、わたしたちのために、その命をお与えになったのである。わたしたちは、イエスによって、永遠の命を受けることができるのである。

キリストの実物教訓 370
もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」とイエスは、つけ加えられた。神の品性は、神の戒めの中に表現されている。そして、人間が神との調和を保つためには、神の戒めの原則が、すべての行為の源泉とならなければならない。

キリストは、戒めが要求することを、少しもゆるやかにはなさらない。絶対に間違う余地のないはっきりした言葉で、永遠の命に入るには、戒めに従わなければならないことをお示しになった。

キリストの実物教訓 90~91
キリストが、父なる神に祈られた祈りの中に、わたしたちが忘れてはならない教訓が教えられている。それは「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」といわれた言葉である(ヨハネ17:3)。これが真の教育である。これが、人に力を与えるものである。神と、神がつかわされたイエス・キリストを体験によって知ることは、人間を神のみ姿に変えるのである。これは、人を自己を治めるものにする。低い性質の衝動と欲望とは、高度の意志の力に支配されるようになる。そして、それは、また、彼を神の子すなわち、天国の相続人とし、無限の神との交わりに入れ、宇宙の豊富な富を開いて見せるのである。

これが、神の言葉の探究によって得られる知識である。そして、この宝は、それを得ようとしてすべてをささげる者なら、だれにでも見出すことができるものである。

「しかも、もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。」(箴言《しんげん》2:3-5)

各時代の希望 下巻 84~85
キリストはこの真理にすべての人が学ばねばならない自己犠牲の教訓を結びつけておられる。「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう」(ヨハネ12:25)。キリストとともに働く者として実を生じさせたい者は、みなまず地に落ちて死なねばならない。生命はこの世の必要といううねの中に投げ込まれねばならない。自己を愛する思い、自己中心の思いは滅びなければならない。自己犠牲の法則は、自己保存の法則である。農夫は穀物を投げ捨てることによってそれを保存する。人間の生命も同様である。与えることは生きることである。保存される生命は神と人との奉仕に惜し気なく与えられる生命である。キリストのためにこの世の生命を犠牲にする者は永遠にいたる生命としてこれを保つのである。


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