2016.03.05
カテゴリ:愛
私たちの赦しと救いは条件付きか?
2016年3月5日 Tag: 池宮城 義浩
Tag: 愛
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「十字架のイエスをただ信じなさい。そうすれば救われる」と言う人がいます。それは真実で否定しようがありません。しかし、だからと言って、クリスチャン生活や善い行い、神のみ言葉に従うことを重要視しないならばどうでしょうか。信じさえすれば本当に救われるのでしょうか。罪人が罪を悔い改める時、その罪は赦されます。これは間違いありません。しかし、その赦しですら条件付きです。今、私たちは恩恵期間という猶予期間が与えられていて、その間に、清い天の住民になれるよう、この地上で品性が清められ完成されなければならない。天にふさわしいかどうか、天の住民と他世界の人々の注目する中で、調査審判がなされる。最後の審判の時、その時までイエスが差し出している救いの手を、信仰の手でしっかりつかみ続ける時、最後に大いなる祝福として「もろもろの罪が清められる」(レビ記16章)のです。そして、全ての者がその審判に納得する。そしてその時こそ、条件付きだった救いが、最終的で完全な救いとなるのです。
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