カテゴリ:愛

神の哀れみと驚くべきみ業

2017年9月9日 icon_002200_16.pngTag: 池宮城 義浩

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*霊感の言葉*

国と指導者下208
「エステルの時代に神の民を訪れた苦しい経験は、ただその時代だけのものではなかった。ヨハネは、時の終末に至るまでの各時代を眺めて言った。『龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った』(黙示録12:17)。今日地上に住んでいる者の中に、こうした言葉が成就するのを見るのである。各時代において、人々に真の教会を迫害させた同じ精神が、将来も、神に忠誠をつくす者に対して同様の行動を取らせるに至るのである。現在でさえ、この最後の大争闘に対する準備が行われているのである。」

大争闘下140,141
「預言者は語っている。『その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁あくのようである。彼は銀をふきわけて清める者のように座して、レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。そして彼らは義をもって、ささげ物を主にささげる』(マラキ3:2,3)。天の聖所におけるキリストのとりなしがやむ時地上に住んでいる人々は、聖なる神の前で、仲保者なしに立たなければならない。彼らの着物は汚れがなく、彼らの品性は、血をそそがれて罪から清まっていなければならない。キリストの恵みと、彼ら自身の熱心な努力とによって、彼らは悪との戦いの勝利者とならなければならない。天で調査審判が行われ、悔い改めた罪人の罪が聖所から除かれているその間に、地上の神の民の間では、清めの特別な働き、すなわち罪の除去が行われなければならない。… この働きが成し遂げられると、キリストの弟子たちは、主の再臨を迎える準備ができるのである。『その時ユダとエルサレムとのささげ物は、昔の日のように、また先の年のように主に喜ばれる』(マラキ3:4)。その時、主が再臨されてご自分のもとに受け入れられる教会は、『しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、・・・・栄光の姿の教会』である(エペソ5:27)。また、その教会は、『しののめのように見え、月のように美しく、太陽のように輝き、恐るべき事、旗を立てた軍勢のような者』である(雅歌6:10)。」

ゼカリヤ 12:8
「その日、主はエルサレムの住民を守られる。彼らの中の弱い者も、その日には、ダビデのようになる。またダビデの家は神のように、彼らに先だつ主の使のようになる。」

ゼカリヤ 9:16
「その日、彼らの神、主は、彼らを救い、その民を羊のように養われる。彼らは冠の玉のように、その地に輝く。」

ルカ 12:32
「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。」

イザヤ41:14
「主は言われる、『虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。…』」

ローマ 8:28
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」

ローマ 8:31
「それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」


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