神の忍耐の限界

2019年9月14日 icon_002200_16.pngTag: 城間 祥達


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*霊感の言葉*

黙示録14:9、10
「ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、『おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる』。」―黙示録14:9、10

ローマ1:18、21
「神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。……なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。」

ローマ1:24、26、28
「ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。……それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、……そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。」

Ⅱペテロ3:9、15
「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。……また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。」

黙示録3:19
「すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。」

イザヤ28:21
「主はペラジム山で立たれたように立ちあがり、ギベオンの谷で憤られたように憤られて、その行いをなされる。その行いは類のないものである。またそのわざをなされる。そのわざは異なったものである。」

大争闘下402
「あわれみ深いわれらの神にとって、 罰するということは異なったわざである。『主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を 喜ばない』(エゼキエル書33:11)。主は『あわれみあり、恵みあり、怒ることおそくいつくしみと、まこととの豊か なる神、・・・・悪と、とがと、罪とをゆるす者』である。しかし主は、『罰すべき者をば決してゆるさず』、『主は怒ることおそく、力強き者、主は罰すべき者を決してゆるされない者』である(出エジプト記34:6、7、ナホム書1:3)。」

大争闘上25
「われわれは、自分たちの享受している平和と保護が、どんなに多くキリストに負うものであるかを、知ることができない。人類が全くサタンの支配下に陥らないようにしているのは、神の抑制力である。神が慈悲と忍耐をもって、 悪魔の残酷で悪意に満ちた力を止めておられることを、不従順で恩を知らない者たちは、大いに感謝しなければならないのである。しかし、人間が神の忍耐の限度を越えるとき、この抑制は取り除かれる。神は、罪に対する宣告の執行者として罪人の前に立たれるわけではない。しかし神は、神のあわれみを拒んだ者をそのなすがままにされるのである。」


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