聖別された儀式

2019年9月28日 icon_002200_16.pngTag: 池宮城 義浩

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*霊感の言葉*

ヨハネ 13:1
「過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。」

ヨハネ 13:4-5
「夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。」

各時代の希望下119
「この行為が弟子たちの目を開いた。彼らの心は激しい恥ずかしさと不面目な思いに満たされた。彼らは無言の譴責を理解し、自分たちの姿をまったく新しい光のうちに見た。」

各時代の希望下127
「この儀式は、聖さん式のためにキリストがお定めになった準備である。高慢、不和、権力争いが宿っているあいだは、心はキリストとのまじわりにはいることができない。われわれは、キリストのからだと血との聖さんを受ける用意ができていない。そこでイエスは、ご自分の謙遜を記念するものを最初に守るようにお定めになったのである。」

各時代の希望下127
「人のうちには、自分を兄弟よりも高く評価し、自我のために働き、最高の地位を求める傾向がある。そしてこのことから、しばしば悪い憶測と冷酷な精神が生じる。聖さん式に先立つ洗足式は、こうした誤解を一掃し、人を利己心から引き離し、高慢というたけうまからおろして、兄弟に仕えるへりくだった心を与えるのである。」

各時代の希望下131
「聖さん式は、キリストの死の結果達成された大いなる救済を記念するために与えられたのであった。主が力と栄光のうちにふたたびおいでになるまで、この儀式は守られる。それは、われわれのためのキリストの大いなるみわざがわれわれの心のうちに生きつづけるための手段である。」

各時代の希望下139
聖さん式はキリストの再臨をさし示している。それはこの望みを弟子たちの心に生き生きと保つためであった。

ヨハネ 6:56-57
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。」


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