再臨運動と大失望の意味とは

2016年10月22日 icon_002200_16.pngTag: 池宮城 義浩

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*霊感の言葉*

キリストは見える形で文字通りおいでになる

1テサロニケ 4:16
「主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる」。

マタイ 24:30、27
「そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々 は見るであろう。」
「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」。

天の全軍がキリストに従ってくる

マタイ25:31
「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来る」。

マタイ24:31
「また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、・・・・四方からその選民を呼び集めるであろう」。

キリストの再臨のときに死んだ義人はよみがえり、生きている義人は朽ちない体に変えられる

1コリント15:51-53
「わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである」。

1テサロニケ4:16,17
「その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、 いつも主と共にいるであろう」。

キリストがご自身でこられるまでは、神の民は国を受けることができない

マタイ25:31-34
「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい』」。

大争闘下45-47
「ウィリアム・ミラーと彼の仲間は、初期の弟子たちと同様に、自分たちが伝えているメッセージの意味を、十分に理解してはいなかった。長い間、教会内で確立されてきた誤りのために、彼らは預言の重大な部分を正しく解釈することができなかった。したがって、彼らは、世界に伝えるために神からゆだねられた使命を宣言したけれども、その意味を取り違えて、失望を味わうに至った。
ミラーは、ダニエル書8:14の『二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する』という言葉を解釈する際、すでに述べたように、地上が聖所であるという一般の見解を採用し、聖所の清めとは、主の再臨の時に地上が火で清められることであると信じた。したがって、二千三百日の終結が明確に預言 されているのを見いだしたとき、これは再臨の時を示しているものであると結論を下した。彼の誤りは、聖所とは何かということに関する一般の見解を受け入れたためであった。…
しかし、神は、審判の警告をそのまま伝えることをお許しになって、ご自分の恵み深い御目的を果たされた。大いなる日が近づいていた。そして神は摂理のうちに、人々に彼らの心の状態を示すために、特定の時に関する試験をお与えになった。使命は、教会を試し、清めるためのものであった。彼らは、彼らの愛着がこの世にあるのか、それともキリストと天にあるのかを、悟らせられるのであった。彼らは救い主を愛すると言っていた。その愛を 、今、証明しなければならなかった。彼らは、快く世俗の希望と野心を捨てて、主の再臨を歓迎したであろうか。この使命は、彼らの真の霊的状態を彼らに認めさせるためであった。それは、彼らが悔い改めて謙そんに主を求めるようになるために、恵みのうちに与えられたのであった」。


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