イスラエルの神殿建設から学ぶ -PART1-

2017年8月5日 icon_002200_16.pngTag: 金城 重博

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*霊感の言葉*

あらゆる試練のときの助け
「わたしたちは苦難の世界に生きており、天の家郷へ行く道には絶えず艱難、試練、悲嘆がわたしたちを待っている。しかし、たえず苦難を予想して生涯の重荷を倍にしている人が多い。災難や失望に会うとすべてがだめになってしまうように考え、自分はだれよりも一番運が悪く、必ず貧窮に陥ると思いこむ。こうして自ら不幸を招き周囲の者をみな憂欝にする。生きていくことそのものが重荷となるのであるが、そうなる必要はない。この考え方を変えるには決定的な努力がいるが可能である。この世の喜びも来世の喜びも共に明るいことに心をむけるかどうかによってきまる。想像にすぎない暗い光景に気をとめることなく、神が彼らの道にまいておられる恵みを思い、その果てにある目に見えない永遠のものを見るようにさせなさい。…

わたしたちは未来のことを考え、困難な問題や面白くない予想をして自ら失望し、ひざを震わせ、両手を下げて意気消沈してはいけない。『わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、わたしと和らぎをなせ』と大能の神は申されている(イザヤ書27:5)。神の指導に従い、神に仕えるために一生をささげる者が神が備えられない境遇に陥ることは決してない。もしわたしたちが神のみ言葉を行っていれば、境遇がどうであっても、みちびき手である案内者があり、どんな困惑に遭遇しても確かな相談相手があり、どんな悲しみ、死別、孤独の中にあってもわたしたちには同情深い友人がいるのである。

知らずに過失を犯したときも、救い主は、わたしたちを見捨てられない。わたしたちは決して孤独を感じる必要がない。わたしたちの友は天使であり、キリストがみ名によって送ると約束された慰め主は、わたしたちと共に宿られるのである。神の都に行くその途中には、キリストにたよる者が勝つことのできない困難など一つもなく、またのがれることのできない危険もない。神が助けの道を備えておられない悲嘆、苦痛、人間的弱さというものはないのである。…

自己を観察し、自己の感情にふけることは賢明ではない。そうするとき、敵はわたしたちの信仰を弱め、勇気をくじくような困難や誘惑をあらわしてくる。自分の感情にふけり、気分に負けることは疑惑の念をそだて、困惑の中に自分をまき込むようなものである。わたしたちは目を自分から離し、イエスを見なければならない」
ミニストリー・オブ・ヒーリング225~227



イスラエルの神殿建設から学ぶ -PART2-

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