フランシスコ教皇の米・日征服

2019年12月21日 icon_002200_16.pngTag: 金城 重博


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*霊感の言葉*

大争闘下322
「人々は法王制の真の性格、またこの教会が支配権を得たとき心配される危険に対して 目を閉じている。政治的また宗教的自由に対するこの最も危険な敵の進出に反対するように、人々は目ざめる必要がある」。

大争闘下318-320
「高い犠牲を払って贖った良心の自由に、 プロテスタントが高い価値を置いた時代があった。彼らは子供たちに法王教をきらうように教え、ローマと一致しようとすることは神に対して不忠実であると主張した。しかし今日表明される意見は、なんとはなはだしく異なっていることであろう…
アメリカ合衆国の憲法は、良心の自由を保証している。これ以上貴重で根本的なものはない。法王ピオ9世は1854年8月15日の回勅の中で『良心の自由を擁護するという不合理で誤った教理あるいはたわごとは、きわめて有害な誤謬、すなわち、国家にとってほかの何よりも恐れねばならない病毒である』と言った。同じ法王は、1864年12月8日の回勅の中で、『良心の自由と、宗教上の礼拝の自由を主張する者』また『教会は暴力を用いてはならないと主張するすべての者』をのろった。
米国におけるローマの穏やかな態度は、心の変化を意味するのではない。この教会は自分が無力であるところでは寛 大である。オコンナー司教は、『カトリックの世界に危険を及ぼすことなく反対政策を実施できるようになるまで、信教の自由をがまんしているにすぎない』と言っている」。

クリスチャンの奉仕232
「当時から福音教会の創始者や、神の証人たちにより何世紀もの間、かかげられてきた真理と宗教自由のみ旗は、この最後の闘争において、われわれの手にゆだねられている。この大きな賜物に対する責任は、神がみ言葉を知る知識を与えたもうた人々の上にかかっている。われわれはこのみ言葉を至高の権威として受け入れねばならない。われわれは人間の政治を神が任命された条令として認め、その正当な範囲内において神聖な義務としてそれに従うよう教えねばならない。しかしその主張が神の主張に相反する場合、人々よりむしろ神に従わねばならない。神のみ言葉は、人間のどんな法律より上位のものと認められねばならない。『主はこう言われる』ということは、『教会はこう言う』とか『国家はこう言う』ということでわきにのけられてはならない。キリストの冠は、地上の主権者の王冠の上にかかげられるはずである」。

6T352(1900年) 終末時代の諸事件77
「宗教自由の国アメリカは、法王権と結合し、良心を強制して人々に無理やり偽りの安息日を守らせるであろう。このとき、地上のあらゆる国の人々は、アメリカの例に倣うように導かれるであろう。」

6T395(1900年) 同上78
「安息日の問題は、大いなる最後の闘争における論点となる。全世界が、これに関与するであろう。諸外国は、アメリカ合衆国の例に倣うであろう。アメリカ合衆国が先導するにも関わらず、同様の危機が、世界の全地域にいる我が民に臨むであろう。真理と偽りをすり替えることがドラマの終幕である。このすり替えが全世界的なものとなるとき、神はご自身を現されるであろう。神は、地上を激しく揺り動かすために、威厳をもって立ち上がられるであろう」。


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ローマ・カトリックーバチカン

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