御霊を受けるために①

2019年12月28日 icon_002200_16.pngTag: 池宮城 義浩


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*霊感の言葉*

患難から栄光へ上46
「キリストがご自分の代表者として聖霊を送るという別れの約束は、時がたっても変わりはない。」

「み霊の恵みが豊かに地上の民に注がれないのは、神が制限しておられるからではない。もし約束の実現がみられないとすれば、それは約束が理解されていないからである。もしだれでも求めるならば、すべてのものはみ霊に満たされるのである。」

患難から栄光へ下264
「使徒や預言者たちの中には、だれも罪がないと主張した者はいない。神に最も近く生きた人々、知っていて悪い行いをするよりはいのちを犠牲にしようとする人々、神が聖なる光と権能をもって賞賛した人々は、自分たちの性質の罪深さを告白してきた。彼らは自分自身に信頼せず、自分の義を主張せず、キリストの義を深く信頼した。」

初代文集150-151
「…感情は信仰ではない。この二つのものは全く別のものである。信仰は、われわれが働かせるものであるが、喜ばしい感情と祝福は、神がお与えになるものである。…
真の信仰は、約束された祝福が、実現しそれを感じることができる前に、それをつかんで自分のものとする。われわれは信仰をもって、第二の幕の中に、われわれの願いをささげ、信仰によって、約束された祝福をつかみ、それを自分たちのものとして主張しなければならない。それから、われわれは、祝福を受けることを信じなければならない。なぜならば、信仰が祝福をつかんでいるのであって、み言葉にあるとおりに、それはわれわれのものだからである。」

キリストの実物教訓122
「神がお与えになる賜物はみな服従が条件となっている。神は神と力を合わせるもののために、あふれる祝福を天に備えておられる。神に従う者は、すべて、確信をもって、神の約束の成就を求めることができるのである。」

キリストの実物教訓119
「わたしたちの祈りは、ただ自分の利益のみを求める利己的な願いであってはならない。わたしたちは、与えるために求めるべきである。…
わたしたちが世におかれている任務は、自己に仕えて自己を喜ばせることではなくて、罪人を救うために神と協力して、神に栄光を帰することである。わたしたちは、他の人びとにわかつことができるように、神に祝福を求めなければならない。受ける能力は、わかつことによってのみ維持することができる。まわりにいる人びとに与えないでいて、天の宝を受けつづけることはできない。」


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父、御子、聖霊