主の祈り

2020年1月4日 icon_002200_16.pngTag: 金城 重博

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*霊感の言葉*

祝福の山127-129
「主の祈りは、救い主によって二度与えられた。最初は山上の垂訓の中で群衆に対して語られ、数か月のちに再び、弟子たちにだけ与えられた。しばらく主のもとを離れていた弟子たちが帰って来た時、主はひたすら神と交わっておられた。彼らが帰って来たことにも気づかれないかのように、主は声高く祈り続けられた。主のみ顔は天の光で輝いていた。その様子は見えない神のみ前にいるようであり、そのみことばには、神と語る者の持つ生きた力があった
それを聞いていた弟子たちの心は強く感動した。彼らは、主が、父なる神との交わりに、おひとりで幾時間もお過ごしになることがしばしばあることを知っていた。主は毎日を、つめかける群衆に奉仕することに、また、律法学者たちの反逆的な奇弁の真相を明らかにすることに費された。この休む間もない働きはしばしば主をとても疲れさせたので、主の母や兄弟たち、また弟子ちさえも、主の生命まで犠牲になるのではないかと心配したほどであった。しかし、骨の折れる 一日を終えて祈りの時を過ごされた主のみ顔には平安の色が認められ、さわやかな気分がその身辺にただようように思われた。神と幾時間もお過ごしになってから、主は朝ごとに、天の光を人々にもたらすために出て来られた。弟子たちは、主の祈りの時間と主のことばや働きの力とを結びつけて考えるようになった。今、彼らが主の懇願を聞いた時、彼らの心は、畏敬の念に満たされ低くされた。主が祈り終えられた時、彼らは自分たちの必要を強く感じて、「主よ 、・・・・わたしたちにも祈ることを教えてください」と叫んだ(ルカ11:1)。

イエスは別に新しい形式の祈りをお与えになったのではなかった。あなたがたはわたしがすでに与えたものを理解することが必要なのだ、それにはまだあなたがたが達していない深い意味が含まれているのだとでも言われるかのように、主は彼らに以前にお教えになったことを繰り返された。

 けれども、救い主は、これらのことばをそのまま用いるようにと言っておられるのではない。人類のひとりとして、主はご自身の、祈りの理想をお示しになったのである。そのことばはきわめて単純であって幼な子でも口にすることができるが、その意味は非常に広く、どんなにすぐれた知者もそれを十分にはあくすることはできない。主はわたしたちに感謝のささげ物を持って神のもとに来、わたしたちの必要を申し上げ、罪を告白し、さらに、神の約束に従って神の恵みを求めるようにお教えになっている」。


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