サタンの霊か、神の霊か?
2016年7月2日 Tag: 花城 健
Tag: 聖霊-先の雨、後の雨
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*霊感の言葉*
「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。」マルコによる福音書 16:17-18
神の民は将来奇跡を行うという約束です。
悪霊を追い出し、新しい言葉(異言である外国語)を語る。蛇をつかむ、毒を飲んでも決して害を受けない、病人に手を置けば癒されるというのです。
また、他にもこうあります。
「七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。ルカによる福音書 10:17
わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。」ルカによる福音書 10:19
サタンは本物に真似て偽物を出します。
「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」マタイによる福音書 24:24
キリストは神の民もそうすると言っておられますが、偽預言者もそのようにすると警告されました。
私たちはどうすれば良いのでしょうか?
「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。」ヨハネの黙示録 13:11-13
これが終わりの時代のサタンの働きです。
「また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。 これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。」ヨハネの黙示録 16:13-14
ここにはっきりと悪霊と書いてあります。
大争闘下382.383
「神のしもべたちは、きよい献身の喜びに顔を輝かせ、天からの使命を伝えるために、ここかしこと奔走する。全世界の幾千の声によって、警告が発せられる。奇跡が行われ、病人はいやされ、しるしと不思議が信じる者に伴う。サタンもまた、偽りの不思議を行い、人々の前で天から火を降らすことさえする(黙示録13:13参照)。こうして、地上の住
民は、立場を明らかにしなければならなくなる。」
大争闘下350
「心霊術が現代の名ばかりのキリスト教をますますそっくりまねるようになるにつれて、それは人々をだまし、わなにかけるのに、いっそう大きな力を持つようになる。サタン自身も、近代的な形態に応じて姿を変える。彼は光の天使を装って現われる。心霊術を通して奇跡が行なわれ、病人はいやされ、否定することのできない多くの不思議なことが行われる。そして悪霊が聖書に対する信仰を告白し、教会の諸制度に敬意をあらわすので、そうした霊の働きは神の力の現れとして受け入れられる。」
大争闘下351
「サタンは心霊術を通して人々の病気をいやし、もっと高尚な新しい信仰を提供すると称して、人類の恩人のように見せかける。だが同時に彼は破壊者として働く。彼の誘惑は多くの人々を破滅に導く。」
ペンテコステ派教会の牧師は「世界を変える手は私たちにあります。子供たちがこの世界を変えるのです!」と言います。
しかし我々人間は全く無力なのです。神さま以外には世界を変える力は決して無いはずです。
ペンテコステ派の子供達は異言を語り、感情的に高められます。ある時にはバタバタ倒れます。神様が人間に与えられた尊厳を無くしている奇妙な状態です。普段の生活では現れない、意味の無い速い動きが現れます。しかしこのような理解出来ないことは、一見信仰深いように見えます。
彼らは「聖霊の酒に酔わせて下さい、聖なる笑いをお与え下さいと叫びます。」
その場に行くことに同意した者は、本当にこの奇妙な現象を信じるように導かれるのです。このような現象の中には、いつも人間の尊厳は無くなっています。あるときは、白い服を振り回して人々をバタバタ倒して回ります。まるでボクサーにノックアウトされたようになるのです。そして信じた者に、「あなたの財産を十字架につけなさい」といって、たくさんの献金をさせます。
最後の時代は悪魔的な力が盛り上がるとあります。
「すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。」ヨハネの第一の手紙 3:4
ここにあるようにサタンは不法である罪を犯させる事が目的です。それでは我々は、不法をどのように知ることが出来ますか?
「それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。」ローマ人への手紙 7:7
パウロは十戒を知らなければ罪を知らなかったと言います。しかし、ほとんどのキリスト教界では律法に不服従でも良いと教えています。
キリスト教界で律法への不服従を保つ基本要件 は、
①クリスチャンが律法を破っても安心感を覚えさせる 。
②神のみ言葉は真理の厳密な吟味の基準てあると考えさせないようにする 。
③み言葉以外に、本物で魅力的に思われる別の吟味の基準を制定する。
④あらゆる教理、預言の解釈、そしてクリスチャンの標準は分裂を起こさせるので、省く 。
ここで1つ1つ考えてみましょう。
- 十戒は十字架で廃されたと教えます。しかし廃されたのは犠牲制度である「礼典律」であり、十戒は今も有効です。
- この真理の教えのテストを聖書でさせないようにします。その教会がみ言葉に調和してなくても構わないと教えます。
- み言葉以外に魅力的な基準を制定します。「自分の心に正直である事が唯一の判断基準である。」と教えます。
- クリスチャンの分裂を恐れて教理を超えて一致する事をすすめるのです。
しかしここに、本物の奇跡かどうかを識別する聖句があります。
「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」マタイによる福音書 7:21-23
主の名を言っただけでは受け入れられないとあります。どういう人が受け入れられるかというと、父のみ心を行う者だけが、受け入れられるのです。
不法を働く者どもとはどういう意味ですか?
ここではつまり、悪霊を追い出したとしても、癒しを行ったとしても、律法を行わない者は行ってしまえとあるのです。
「わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。」詩篇 40:8
本物と偽物は律法に全て服従しているかどうかで判断するのです。これが唯一の見分け方です。
「もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。」ヨハネの第一の手紙 2:3-4
「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。」ヨハネの第一の手紙 5:3
ここで服従について書いてある箇所をご紹介します。
「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。」ヨハネによる福音書 14:15-16
これは親子の関係と同じです。愛していれば従いたくなります。そしてそれから聖霊が与えられるのです。聖霊は従う者に賜るのです。
愛矢印 ➡︎服従➡︎聖霊です。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」ヨハネによる福音書 14:26
聖霊が真理に導かれ、さらに新しい光が与えられ、さらに服従が進むのです。
「それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。」ヨハネによる福音書 16:8
罪の定義の深さが神の律法と自分の心の違いに悔い改めるように導かれるのです。罪深さを嘆いてさらに神さまにより頼みたいと思います。
しかし、聖霊の招きを拒むとどうなりますか?
「だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。 また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。」マタイによる福音書 12:31-32
「わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。」使徒行伝 5:32
まず、従う者に聖霊が与えられる事をとめたいと思います。
愛➡︎服従➡︎聖霊➡︎真理
しかし、
愛➡︎不服従➡︎悪霊➡︎偽りの真理
という流れがほとんどです。
1844年にプロテスタント教会は再臨運動とウィリアムミラーを馬鹿にしました。この辺りから、彼らの教会に悪霊が入り始めました。
その結果、組織として倒れ始め、様々な偽りの教理やカトリックから引き継いだ教理が入っています。
偽りの愛、偽りの安息日、偽りの再臨である秘密携挙、死後の状態、永遠の責め苦説、地上のエルサレムを見るべきだという教え、千年期が再臨の前であるという教え、偽りの異言、偽りの預言、偽りの礼拝形式、偽りの音楽、成功と繁栄のメッセージ、あなたが幸せになれば神様も喜ばれるという教え、進化論、偽りのしつけや教育論、誤った食事、服装の原則、誤った結婚観、クリスマスやイースターのような誤った異教から来た祭り、など、神の律法に服従をしなければ、このようにますます酷くなります。
「不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。」テサロニケ人への第二の手紙 2:9-10
真理に対する「愛」を受け入れなかったのが原因なのです。神様が恵みによって真理を愛するように「愛」を賜ったのです。
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、」コリント人への第一の手紙 13:4
「不義を喜ばないで真理を喜ぶ。」コリント人への第一の手紙 13:6
聖霊が真理を愛する愛をお与え下さるのです。しかしこれを拒むとどうなりますか?
「また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。 そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。」テサロニケ人への第二の手紙 2:10-12
我々に与えられた真理は大切にしなければなりません。宝石箱の中にある宝のように大切にしなければならないのです。そうしなければ、惑わす力が来るのです。そうなると霊的な酩酊状態です。
ある牧師が3組のご夫婦に聖書研究をしました。この6人は与えられた光に柔和で、安息日や食べ物、死後の状態を理解し受け入れました。
聖書研究の最後の日に牧師は彼らに決心を促しました。しかし、意外な反応が返ってきました。
6人の一人がこう言いました。「聖霊は私たちに安息日を守るように告げていません。聖書にそう書いてあるのもわかります。しかし、私たちは聖霊から直接、守りなさいと語られていません。」
彼らは、自分たちの聖霊の印象をみ言葉よりも上に置いています。
しかし、本来み言葉は聖霊の言葉なのです。彼らは「聖霊のささやき」という教えにとらわれてしまいました。
最後の時代には選民をも惑わす印を行う悪霊が全世界を生きめぐるのです。
「だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。」コリント人への第二の手紙 11:15
「各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。」コリント人への第一の手紙 12:7
1844年以降、倒れ始めたプロテスタントはまだ完全に倒れてはいません。
大争闘下92
「世俗と妥協する精神と、われわれの運命を決定する現代の真理に対する無関心とが、すべてのキリスト教国のプロテスタント諸教会内で力を得ている。こうした教会も、第2天使の厳粛で恐るべき告発の中に含まれる。しかし、背教の活動は、まだその頂点に達していない。聖書は、主の再臨の前に、サタンが「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを」もって働き、「自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれ」ない者は、「偽りを信じるように、迷わす力」を受けるに至る、と言っている(Ⅱテサロニケ2:9―11)。こうした状態になって、教会と世俗との結合がキリスト教国全体において完全に行われる時に、初めてバビロンの堕落は完全なものとなる。」
「その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。」ヨハネの黙示録 17:5
カトリックだけでなく、プロテスタントもバビロン化していきます。教会が悪霊の巣窟となると黙示録に書いてあります。
「彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。 すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。」ヨハネの黙示録 18:2-4
なんと厳粛なことでしょう。こんな事、日夜教会の方々に言いにくいです。彼らは心から神を礼拝しているはずです。しかし、そこから離れ去って出て来なさいと言わなければなりません。本当に聖霊の働きがなければ彼らは出てこれないでしょう。
本物は全ての律法に服従しますが、偽物は全ての律法に服従していません。つまり安息日を破っていれば、本物になれません。
我々はこのようなメッセージを発しなければならないという使命があります。聖書の純粋な福音に立ち返ることで、神様の律法が正常な位置に戻ってから、初めて真のリバイバルが起こります。
聖霊が私たち一人一人に働いてくださいますように。
マタイ7:21-23
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
詩編40:8
わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります。
1ヨハネ2:3, 4
もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。
1ヨハネ5:3
神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。
使徒5:32
わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である。
ヨハネ14:26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
ヨハネ16:13
けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。
ヨハネ16:8
それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
1ヨハネ3:4
罪は不法である。
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