魂とは何か?

2018年7月7日 icon_002200_16.pngTag: 花城 健


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*霊感の言葉*

創世記2:7
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者(KJV: soul[魂])となった。

教育6
神のみかたちにかたどってつくられた人間のひとりびとりに、創造主の能力に近い能カ―個性、すなわち、 思考し行動する能力がさずけられている。

詩編 87:6
主がもろもろの民を登録されるとき、「この者はかしこに生れた」としるされる。

マタイ 10:30
またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。

ヨブ 27:3
わたしの息がわたしのうちにあり、神の息(KJV: spirit[霊])がわたしの鼻にある間、

伝道12:7
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。

ルカ23:46
そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。

使徒7:59
こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。

スタディーバイブル新377/マラナタ301
我々は復活において、墓に入った時と同じ物質の分子あるいは素材ではないが、我々の個性は保存されている。神の驚くべきみ業は人にとって神秘である。霊、人間の品性は、神に帰り保存される。復活においてすべての人は自分自身の品性を持つのである。神はご自分が定められた時に、人を死から呼び出され、再び命の息を与え、乾いた骨に生き返るように命じられる。同じ形で出てくるが、病気やあらゆる欠陥は一切なくなっている。容貌は同じ個性を持っているので、友人は友人を認識する。死ぬ前に体を構成していたものと同一の成分を神が戻されることを示す神の法則は、自然界にない。神は死んだ義人に、神がよしとされる体をお与えになるであろう。

スタディーバイブル旧約1129
彼らがまっすぐに立ち、活動に取りかかることができるよう、命の息が体に生気を与えなければならない。これらの骨はイスラエルの家、すなわち神の教会を表しており、教会の望みは聖霊の活気づけの感化にある。彼らが生きるためには、主が枯れた骨に生命を吹き込んで下さらなければならない。すべての霊的筋肉と腱が運動できるように、神の霊がその活気づけの力をもって、すべての人間の器に宿らなければならない。聖霊や神の息がなければ、良心の麻痺状態と霊的生命の喪失があるのみである。霊的生命を持たない多くの者が、教会員名簿に名を連ねているが、彼らの名は、小羊の生命の書には記されていない。彼らは教会に属しているかもしれないが、主に結ばれてはいない。一様の義務は勤勉に実行するかもしれないし、活発な人と見なされているかもしれないが、多くの者は、「生きているというのは名だけで、実は死んでいる」(黙示録3:1)者たちの中にいるのである。

キ実275,276
わたしたちは高い身代金によってあがなわれた。わたしたちは、この身代金の価が大きなものであったことから考えて、それがどんなに大きな結果をもたらすものであるかを知ることができるのである。土が神の子の涙と血でうるおされたこの地上は、パラダイスの尊い実を結ばなければならない。神の民の生活のなかに、みことばの真理の栄光と美とがあらわれなければならない。キリストは、神の民を通してご自分の品性とみ国の原理を示さなければならない。


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