循環の大法則

2019年7月13日 icon_002200_16.pngTag: 花城 健


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*霊感の言葉*

伝道の書1:7
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。

希中188

利己主義は死である。身体のどんな器官でも、そのものだけの働きに限るならば、それは生きることができない。心臓は手や頭に血液を送らねばたちまち力を失ってしまう。

ミニストリー・オブ・ヒーリング270
完全な健康は完全な血液循環を必要とする。

希中188
われわれのいのちの血液と同じように、キリストの愛は、彼の神秘なからだ(注・教会)の各部に満ちわたっている。われわれは互につながっているのであって、分け与えることをこばむ魂は滅びる。

希上3, 4
これらのことばの中に、宇宙の生命の法則である大原則が示されている。すべてのものをキリストは神からお受けになったが、彼は与えるためにお受けになったのである。天の宮廷ですべての被造物のために奉仕しておられる時もそうである。愛するみ子を通して、天父の生命はすべてのものに向かって流れ出る。み子を通して、それは賛美と喜びの奉仕のうちに、愛の潮流となって、すべてのものの根源である神へもどって行く。このようにキリストを通して愛の循環が完成され、それは偉大な賦与者であられる神のご品性―生命の法則を象徴している。

青年210
よどんだ水たまりはすぐに腐ります。しかし流れる小川は土地に健康とよろこびをまきちらします。前者はなまけ者の象徴であり、後者は勤勉な者の象徴です。・・・・

患下20
物惜しみしない精神は、天の精神である。この精神は、十字架上のキリストの犠牲に最もよく現されている。父なる神は、われわれのために、神のひとり子をお与えになった。そして、キリストは、ご自分の持っておられたものをすべて与えた上で、人間の救いのためにご自身をお与えになった。カルバリーの十字架は、救い主に従うすべての者の 慈悲心に訴えるところがなければならない。そこで明示されている 原則は、与えよ、与えよということである。「『彼におる』と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである」(1ヨハネ第2:6)。

それに反して、自分を愛する精神は、サタンの精神である。世俗の人々の生活にあらわれている主義は、手に入れよ、手に入れよである。こうして、幸福と安楽を得ようと望むのであるが、まいたものの実は、不幸と死である。

キ実65
どの行為、どのことばも実を結ぶ種である。情け深い心からの親切、服従、自己犠牲などの行為は、他の人びとの心の中にふたたびはえ出て、それが彼らによって、また、他の人びとの心の中にまかれるのである。同様に、ねたみ、悪意、争いなどは、「苦い根」となってはえ、多くの人を汚すのである(ヘブル12:15)。そして、この「多くの人」は、どれだけ多数の人びとを毒することであろう。

教育117
したがって、キリストと共に働く者として実を結ぶ者はみなおのれを愛する心や利己心を滅ぼさなければならない。われわれの生命を世の必要という畑にまかなければならない。実際、自己犠牲の法則は、自己保存の法則である。農夫は、穀物をまくことによって、その穀物を保存する。同様に、保存される生命は、神と人類への奉仕のために、無条件にささげられる生命である。


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義認-聖化-完全