選ばれた尊い生ける石

2019年10月19日 icon_002200_16.pngTag: 金城 重博


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*霊感の言葉*

患難下巻303-304 選ばれた尊い生ける石

キリストご自身が築かれた土台の上に、使徒たちは神の教会を建てた。聖書の中で、神殿建設の姿は、しばしば教会の建設の例として用いられている。ゼカリヤはキリストを、主の宮を建てる「枝」にたとえている。彼はまた、異邦人がこの仕事を助けることについて述べている、「遠い所の者どもが来て、主の宮を建てることを助ける」。またイザヤは、「異邦人はあなたの城壁を築」くと、述べている(ゼカリヤ書6:12、15、イザヤ書60:10)。

ペテロはこの宮の建設について書き、「主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい」と言っている (ペテロ第一・2:4、5)。

使徒たちは、ユダヤ人の世界と異邦人の世界という石切り場で、土台を築くための採石の仕事をしていた。パウロは、エペソの信者たちに宛てた手紙の中で述べている、「そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである」(エペソ2:19-22)。

祝福の山13 試練の価値

生涯の試練は、わたしたちの品性から不純で粗野なものを取り去る神の職人(工人)である。切り出され、角材とされ、削られ、刻まれ、磨かれるのは苦しい工程である。といし車におしつけられるのはつらいことである。しかしこうして石は天の神殿に置かれるように整えられるのである。主は無用の材料に対しては、こんな注意深い、行き届いた手間をかけられない。主の尊い石のみが宮の型にならって磨かれるのである。

ミニストリー455 試練による鍛練

わたしたちが試練に耐えるように召されている事実は、主イエスがわたしたちの中に発達させようとお望みになっている、尊いものがあることを認められていることを示している。もし、わたしたちの中に神のみ名の誉となるものが一つもないとわかれば、わたしたちをりっぱなものにする時間を費されないであろう。神は無価値な石を神の炉の中に投げ入れられることはない。神が精練なさるのは価値のある鉱石である。かじ屋は金属の品質を知るために鉄や鋼を火の中に投入する。神はご自分がお選びになった者が悩みの炉の中に投げ入れられるのを許し、彼らがどんな性質を持ち、神の働きのために適当かどうかをためされるのである。


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